住 所   兵庫県神戸市北区有馬町858
  電 話   078-904-0551
 営業時間   立寄り 11:00~14:00 (平日)
 入浴料   1575円
温泉利用状況   完全放流式 (加温水あり・殺菌剤 使用)
   
 源 泉 名   御所泉源 / 妬泉源
  泉 質   含鉄(Ⅱ)-ナトリウム-塩化物強塩泉
 湧出量   24 / 28  ℓ/min
 泉 温   93.5 / 93.8  ℃
 pH   6.34 / 6.37
 成分総計   28.5 / 40.0 g/㎏
    Li=20.5/Sr=11.0/Na=7920/K=2150/Ca=1060/Mg=7.75/
  Fe2=41.7/Zn=0.32/Ba=15.1/Mn=6.18(11200㎎/㎏)
  F=3.12/Br=7.84/Cl=16400/SO4=1.04/HCO3=279
  (16700㎎/㎏)
  H2SiO3=121/HBO2=246(367㎎/㎏)
  CO2=213(213㎎/㎏)              〔1999.01.26〕

  Li=33.3/Sr=17.2/Na=11800/K=2270/Ca=1460/
  Mg=12.8/Fe2=60.4/Zn=0.88/Ba=21.6/Mn=18.8
  (15700㎎/㎏)
  F=9.44/Br=7.86/Cl=23700/SO4=1.06/HCO3=81.4
  (23800㎎/㎏)
  H2SiO3=127/HBO2=311(438㎎/㎏)
  CO2=52.2(52.2㎎/㎏)             〔1999.01.26〕

 入浴履歴   初訪10.09.07
 評 価   ★★★★(暫定)
 有馬温泉
陶 湶 御 所 坊
                        ありまおんせん とうせん ごしょぼう
その仕切りの下に
這わされたパイプ
の穴からジャグジ
ーのようにブクブ
クと注入されてい
るのは、1951年に
地下182mで掘削
された御所泉源と
1955年に地下185
mで掘削された妬
(うわなり)泉源の
混合泉。
舞台湯の右横にある開口部を入る
と、有馬特有の金泉で満たされた
学校のプールの消毒槽のようなス
ロープがあり、竹の手すりを頼り
にこれを進んでいくと、この宿の
名物である半露天風呂に辿り着き
ます。

女湯との間は岩を積んで仕切られ
ているものの、前方へ向かうにし
たがって岩の高さが低くなってお
り、一番前では互いを見渡すこと
ができ、ほとんど混浴に近い状態
となっています。
『陶湶 御所坊』は、洪水によって荒廃した有馬温泉を再興した仁西上人が、
1191(建久2)年に熊野十二神将に因んで設置し、平家の落ち武者12名に管理
を委ねた12の宿坊の一つとされる、当温泉を代表する老舗旅館です。
1594(文禄3)年、豊臣秀吉による“湯山御殿”の築造によって取り壊しを余
儀なくされたものの、13石を譲り受け、神戸電鉄有馬線の有馬温泉駅から南
へ300mほどの現在地に移されました。

昭和初期築の木造3階建て“聴水御坊”と昭和20年代に建てられた木造3階建
ての“雲山御坊”、同30年代築で木造2階建て一部鉄筋造りの“翠巒御坊”
の3つの建物が階段で繋がり、客室数は全20室。
近代以降には、伊藤博文や谷崎潤一郎・与謝野晶子・吉川英治といった著名
人が滞在したとのことです。

立寄り入浴の受付は平日のみ。
事前に電話を入れて入浴の可否を伺い、指定された有馬里の駐車場に赴くと、
そこからは何とロンドンタクシーで宿の前まで送って下さり、その粋な計ら
いにとても感動しました。

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ただし、温泉成分の析出によって送
湯パイプがすぐ詰まり、炭酸ガスが
どこかで抜けているために妬泉源の
湯量が極端に減少し、その代わりに
温水を加えているとのこと。

その影響からか、湯船を満たした適
温の濁り湯は、以前入湯した上大坊
のような赤褐色というより茶褐色と
いった色合いで、塩苦味は強いもの
の、金気臭味はほとんど感じられま
せんでした。
デザイナーズ旅館の先駆けとされる館内の設えを目にし、独特な雰囲気を味わえただけでも訪問した甲斐が
ありましたが、有馬温泉では数少ない掛け流しで濃厚な金泉に浸かることを一番の目的にしていただけに、
少々物足りなさが残ってしまいました。

妬泉源の一刻も早い復旧を願って止みません。                      〔12.03.09〕
御所泉源
妬泉源
暖簾を潜り、さらに片側だけ暖簾が掛かった磨りガラス戸を抜けた先は、小規
模ながら落ち着きのある脱衣所。
右側には洗面台と3段の金属棚に籠9個、
正面にも3段2連の棚に各段4個ずつ計12個
の籠が備えられています。

浴場は内湯と半露天風呂に分かれ、手前
にあるタイル張りの内湯には、左手にジ
ェット機能が付いた白湯の舞台湯が配さ
れ、右には7基のシャワーカランがコ字状
に並べられていました。
正面の階段で2階に上がり、折り返
して奥に進むと突き当たりに“金郷
泉”と呼ばれる男女別の浴場があり、
その途中にも骨董の食器類が飾られ
たり、ワインセラーが設けられてい
たりと、興味を掻き立てる心憎い演
出が施されています。

また、浴場入口の左手前には畳敷き
の湯上がり処もあり、ありがたいこ
とに冷水がいただけるようになって
いました。
1987年に美術作家である綿貫宏介
氏のデザインによってリニューア
ルされたという館内は、間接照明
によって照度が抑えられ、噂に違
わない落ち着いた素敵な雰囲気。

入ってすぐ左手に帳場が設けられ
ていますが、立寄り入浴の受付は
その右手にある売店のレジで行う
ようになっていました。
有馬温泉の歴史を語るうえで忘れてはならないのが、豊臣秀吉です。
1583(天正11)年、初めて有馬の湯に入湯した秀吉はその後も度々訪問
し、1528(享禄元)・1576(天正4)年の大火などで荒廃していたこの地
にさまざまな援助を行いました。
特に慶長伏見地震の翌年の1597(慶長2)年に、泉源の根本的な改修工
事を行ったことはよく知られています。
その後、江戸時代には幕府の直轄領となって大いに繁栄し、1817(文
化14)年の『諸国温泉功能鑑』では、当時としては最高位の西の大関
に位置付けられています。

有馬温泉では、塩分と鉄分を多く含み、空気に触れると茶褐色に濁る
“金泉”と“銀泉”と呼ばれる透明な二酸化炭素泉・放射能泉の3種
類の湯が知られています。
歴史上に登場するのは、7世紀前半の飛鳥時代。
舒明天皇が631年に86日間、孝徳天皇が大化の改新後の647(大化3)年
に82日間にわたって滞在したことが、『日本書紀』や『続日本紀』と
いった歴史書に記録されています。

奈良時代には、行基が温泉寺を建立して、当時衰退していた温泉地を
再興。
平安時代末の1191(建久2)年には、夢のお告げを受けた大和吉野の高
原寺の住僧仁西が、1097(承徳元)年の水害によって壊滅的被害を受け
た有馬を訪れ、里人とともに泉源の浚渫を行うとともに、温泉寺を改
修し、12の宿坊を開いたとされています。
有馬温泉は、六甲山地北麓の傾斜地に29軒の宿泊施設が建ち並ぶ関西を代表する温泉地で、和歌山県白浜温
泉・愛媛県道後温泉と並び“日本三古泉”に数えられる古湯です。

有馬温泉の守護神である温泉神社の縁起によると、温泉の発見は神代。
大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)という二神がこの地を訪れた際、水溜り
で水浴していた3羽のカラスの傷が数日後に癒えていたことから、その水溜りが温泉であることが判ったと
伝えられています。