住 所   兵庫県神戸市北区有馬町1617-1
  電 話   078-904-0951
 営業時間   立寄り 10:30~20:30
 入浴料   700円 (日・祝・GW等特定日 1000円)
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   愛宕山泉源
  泉 質   含鉄(Ⅱ)-ナトリウム-塩化物強塩泉
 湧出量   50   ℓ/min
 泉 温   98.5  ℃
 pH   6.45
 成分総計   49.58 g/㎏
    Li=65.0/Na=13500/K=2790/Ca=2760/Mg=27.0/
  Fe2=63.9/Zn=2.94/Ba=42.7/Mn=40.7(19300㎎/㎏)
  F=3.35/I=0.23/Br=53.1/Cl=29400/SO4=0.67/
  HCO3=60.8(29500㎎/㎏)
  H2SiO3=273/HBO2=406(679㎎/㎏)
  CO2=36.2/H2S=0.32(36.5㎎/㎏)
      〔2011.02.23〕
 入浴履歴   初訪11.08.26
 評 価   ★★★★
 有馬温泉
かんぽの宿 有馬
                       ありまおんせん かんぽのやど ありま
やや白味を帯びてコーヒ
ー牛乳のような色合いと
なった少し熱めの湯から
は、土類っぽい匂いが痕
跡的に感じられる程度で
すが、強い塩苦味とベタ
ツキがあり、加水で薄く
なっているとはいえ、有
馬温泉らしい良く温まる
ガツン湯でした。
主浴槽には、1963年に敷地内の地下300mで掘削されたとい
う自家源泉“愛宕山泉源”が、加水のうえで掛け流し。
内湯のみの浴室は防水畳敷
きで、左手には12基のシャ
ワーカランが逆コ字状に並
び、ガラス張りとなった右
側には、紅御影石で縁取っ
た幅4.9m、奥行き3.25m
ほどの変形六角形を呈した
タイル張りの主浴槽、その
手前には真湯を湛えたジャ
グジー風呂がそれぞれ配さ
れています。
受付の向かいで左右に並ぶ入口の
うち、男湯は紺色の暖簾が掛かっ
た左側。

脱衣所はまずまずゆったりした広
さがあり、右手前に24庫の木調の
鍵付きロッカーとその上に籠6個、
右側のガラス窓の前に同種のロッ
カーが左右に24庫ずつ備えられ、
正面の右半には洗面台3基が設置
されていました。
『かんぽの宿 有馬』は、神戸電鉄有馬線の有馬温泉駅から南南東へ約1㎞、温泉街の南の高台に所在する日
本郵政㈱が運営している宿泊施設で、1963年に全国で初めて造られた簡易保険保養センターです。

1994年に改築された建物は鉄筋造り6階建てで、客室数は全53室。
ガラスの自動ドアを入るとすぐ右横に下足箱があり、ここでスリッパに履き替えるようになっています。
2008年8月にロビーなどパブリックスペースがリニューアルされたこともあって、館内はほとんど古さを感
じません。
有馬温泉は、六甲山地北麓の傾斜地に29軒の宿泊施設が建ち並ぶ関西を代表する温泉地で、和歌山県白浜温
泉・愛媛県道後温泉と並び“日本三古泉”に数えられる古湯です。

有馬温泉の守護神である温泉神社の縁起によると、温泉の発見は神代。
大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)という二神がこの地を訪れた際、水溜り
で水浴していた3羽のカラスの傷が数日後に癒えていたことから、その水溜りが温泉であることが判ったと
伝えられています。

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以前入湯した上大坊の天神泉源と比べると、浴感としては正直物足りなさが多少残りましたが、有馬では珍
しく無料駐車場も備えられ、金泉をお値打ちかつ気軽に楽しめる宿として好感しました。   〔12.09.21〕
愛宕山泉源
男女別の大浴場は4階にあり、1階ロ
ビーの右手前に設置された日帰り入
浴用の券売機で入浴券を購入し、エ
レベーターで4階に上がって、左奥
へ進むと右手に設けられている受付
で手渡すようになっています。

なお、受付の際に再入浴を告げてお
くと、何度でも入浴ができるそうで
す。
有馬温泉の歴史を語るうえで忘れてはならないのが、豊臣秀吉です。
1583(天正11)年、初めて有馬の湯に入湯した秀吉はその後も度々訪問
し、1528(享禄元)・1576(天正4)年の大火などで荒廃していたこの地
にさまざまな援助を行いました。
特に慶長伏見地震の翌年の1597(慶長2)年に、泉源の根本的な改修工
事を行ったことはよく知られています。
その後、江戸時代には幕府の直轄領となって大いに繁栄し、1817(文
化14)年の『諸国温泉功能鑑』では、当時としては最高位の西の大関
に位置づけられています。

有馬温泉では、塩分と鉄分を多く含み、空気に触れると茶褐色に濁る
“金泉”と“銀泉”と呼ばれる透明な二酸化炭素泉・放射能泉の3種
類の湯が知られています。
歴史上に登場するのは、7世紀前半の飛鳥時代。
舒明天皇が631年に86日間、孝徳天皇が大化の改新後の647(大化3)年
に82日間にわたって滞在したことが、『日本書紀』や『続日本紀』と
いった歴史書に記録されています。

奈良時代には、行基が温泉寺を建立して、当時衰退していた温泉地を
再興。
平安時代末の1191(建久2)年には、夢のお告げを受けた大和吉野の高
原寺の住僧仁西が、1097(承徳元)年の水害によって壊滅的被害を受け
た有馬を訪れ、里人とともに泉源の浚渫を行うとともに、温泉寺を改
修し、12の宿坊を開いたとされています。