住 所   長野県松本市浅間温泉3-28-15
  電 話   0263-46-1402
 営業時間   2011.12 閉鎖
 入浴料   200円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   浅間温泉混合泉 (山田源泉・2号源泉・4号源泉・
              大下源泉)
  泉 質   単純温泉(アルカリ性)
 湧出量   815  ℓ/min
 泉 温   49.7  ℃
 pH   8.9
 成分総計   0.4223 g/㎏
    Li=痕跡/Sr=0.2/Na=88.5/K=1.6/Ca=34.1/Mg=0.03/
  Al=0.01/NH4=痕跡/Fe2=痕跡(124.4㎎/㎏)
  F=1.4/Cl=33.7/SO4=197.5/HCO3=22.6/CO3=3.0/
  HS=0.33(258.5㎎/㎏)
  H2Si03=38.5/HBO2=0.8(39.3㎎/㎏)
  H2S=痕跡(㎎/㎏)
           
〔2001.03.16〕
 入浴履歴   初訪09.05.04
 評 価   ★★★★
 浅間温泉
倉 下 の 湯
                             あさまおんせん くらしたのゆ
浅間温泉は、松本市街の中心から北北東へ約4㎞、大正山(1060.1m)を背後に緩やかに西へ傾斜する高台に
形成された、“松本の奥座敷”と呼ばれる中信地域を代表する温泉地です。

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左奥のパイプ湯口から虫取り網で濾して湯船に掛け流されているのは、港の湯と同じ浅間温泉混合泉。
湯口からの注入量があまり多くないうえに劣化していたのか、湯船に満たされた湯はわずかに濁り、湯温も
適温となっていました。

湯の鮮度としてはもちろん仙気の湯や港の湯に分があると思われるものの、共同湯らしい佇まいという点で
はこちらが一番でしょう。
浴室が小さいために入浴客が多ければ印象も異なったかもしれませんが、幸いにも地元の常連客との2名の
みで、湯船から出たり入ったりしながらこの温泉にまつわる話などを伺うことができ、結構お気に入りの浴
場となりました。                                   〔11.02.19〕
浴場は帳場から左手に進んでさら
に左へ折れた先にありますが、大
正時代に建築されたという建物内
部は薄暗く、隠れ家にやってきた
ような錯覚すら覚えます。

1983年に改築されたというタイル
張りの浴室も手狭で、1.9×1.45
mほどのタイル張りの湯船以外に
は水カラン1基のみという、共同
浴場らしい簡素な造りです。
かつて旅館であったにもかかわらず、板張りの脱衣所は小ぢんまりした造り
で、左壁に10庫の脱衣箱が設えられ、その横には休憩用の椅子が2脚置かれ
ていました。
注意深く歩いていると、前に付設されたコンクリート造りの浴舎の上に
湯気抜きが載っていることに気が付きますが、玄関の上に掲げられた扁
額以外には浴場を示す表示がなく、単に年季が入った白壁2階建ての木
造民家としか見えないため、最初は迂闊にもその前を通り過ぎてしまい
ました。
その扁額に「旧松本藩共同浴場」と記されているように、江戸時代は武
士のみが浸かることのできた由緒ある浴場で、大正時代に一般にも開放。
以前は旅館も営んでいましたが、現在は公衆浴場としてのみ営業されて
います。
中に入ると、土間を上がった正面にかつての帳場があり、ここで直接入
浴料を支払います。
『倉下の湯』は、湯けむり公園から山の手通りを80mほど上っていくと左手に所在する、浅間温泉では3か所
のみとなった外来利用が可能な共同浴場の一つです。
939(天慶2)年に土豪の犬飼半左衛門によって発見され、“犬飼の湯”
と呼ばれていたとのことですが、685(天武14)年に天武天皇が三野王
に信濃国の地形図を献上させ、行幸を計画したと『日本書紀』に記録
されている「束間の温湯」を、この湯に比定する説(ほかに美ヶ原温
泉説)もあります。
戦国時代の終わりには、初代松本城主の石川数正が御殿湯(浅間御殿)
を造営し、三男康次の子晶光(小口楽斎)を初代湯守に任じ、代々小口
家にその管理に当たらせました。

現在では、26軒の宿泊施設や日帰り入浴施設2か所、共同浴場多数が
建ち並び、これらの浴場には、基本的に集中管理された第1号・第2号
・第4号・東北・山田・大下・鷹の湯の7源泉が利用されています。