住 所   静岡県熱海市銀座町14-24
  電 話   0557-81-2105
 営業時間   11:00~19:00
 入浴料   400円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   65.2  ℃
 pH   8.04
 成分総計        g/㎏
 





 入浴履歴   初訪09.03.20
 評 価   ★★★★★★
 熱海温泉
福 島 屋 旅 館
                       あたみおんせん ふくしまやりょかん
山東京山が1830(文政13)年に著した『熱海温泉図彙』に拠れば、第24代仁賢天皇4年の491年に蚊島穂台君の
屍を海に沈めたところ、海中から熱湯が噴き出して魚が焼け死んでしまったことから“あつみが崎”と呼ば
れるようになり、757(天平宝字元)年に箱根山に入山し、箱根三社権現を感得した万巻上人が、箱根へ向か
う途中、海中から湧き出す熱湯によって甚大な被害を被っていた漁民を助けようと、37日間の断食祈祷によ
って泉脈を海中から山腹へ移したと伝えられています。

温泉地として発展するのは、幕府の直轄領となった江戸時代。
特に徳川家康は、1604(慶長9)年3月に息子の義直・頼宣を伴って7日間逗留するなどこの湯を愛し、同年9月
には、京で療養中の吉川広家に見舞いとして温泉を送っています。
汲み上げた温泉を湯樽に詰めて運ぶ“御汲湯(おくみゆ)”は、4代家綱の1667(寛文7)年、駿府城代の松平重
信が江戸城に差し出してから行事となって歴代将軍に継承され、最も御汲湯が盛んとなった8代吉宗の1728
(享保13)年11月には、湯樽の運搬に船が利用されるようになりました。
近世以降も伊藤博文や大隈重信といった政府要人や軍人・文人がたびたび訪問し、尾崎紅葉が1897(明治30)
年から6年にわたって執筆した『金色夜叉』の舞台となってからは、全国的に有名となりました。
館内は、置かれている調度品や小物に至るまでと
にかくレトロ。
突き当たりのガラス戸には、やはり勘亭流の色文
字で“男ゆ”と書かれています。
『福島屋旅館』は、県道熱海函南線(11号)の市役所前交差点から北東方
向へ約300m、JR東海道線熱海駅に向かう坂道の左手に所在する明治
時代初期に創業されたという老舗旅館です。

時代に取り残されたかのようにマンションに囲まれて建つ建物は、モル
タル外壁の木造2階建てで、入口のガラス戸には“温泉旅館”とともに
“温泉浴場”と勘亭流の赤文字で記されており、共同浴場としても利用
されていることが判ります。
式台を上がるとすぐ左手に帳場があり、入浴料を支払って奥にある浴場
へ向かいます。
本町大火(1944年)による焼失を経て1946年に建て直されたというだけあ
って、黒光りした廊下は、歩を進めるたびに軋んでギシギシと鳴ります。
訪問時は終始貸切状態。静謐な佇まいからは、長い歴史に裏付けされた荘厳さのようなものさえ感じられ、
浴室に身を置いているとまるでタイムスリップしてしまったかのような錯覚を覚えるなど、不思議な感覚に
囚われたインパクトの強い一湯でした。                         〔11.01.01〕
熱海温泉は、静岡県の最東部、伊豆半島の東側の付け根に位置し、相模湾に臨む海岸沿いから丘陵傾斜地に
かけて120軒余りのホテル・旅館や3か所の共同浴場が点在する、わが国を代表する温泉地の一つです。

トップページへ



静岡県の温泉へ



左奥には黒御影で縁取っ
た3.35×2.4mほどの玉
石タイル張り湯船が置か
れ、湯は張られていなか
ったものの、その右には
奥行きにして半分ほどの
小浴槽も配されています。

大浴槽には、パイプを利
用して底の方から源泉が
静かに掛け流されており、
無色透明の湯からは仄か
な芒硝臭と薄塩味が感じ
られました。
浴室は脱衣所より2段分低い位置にタイル張りの床があり、格天井の高
さも加わって広々とした印象を受けます。
裸電球のみが灯
る広々とした板
張りの脱衣所に
は、3段の棚の
横に大振りな円
形の籐の編み籠
が備えられてい
ました。