住 所   静岡県熱海市水口町19
  電 話   
 営業時間   2015.12.31 閉鎖
 入浴料   300円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   
  泉 質   
 湧出量       ℓ/min
 泉 温        ℃
 pH   
 成分総計        g/㎏
 





 入浴履歴   初訪09.03.20
 評 価   ★★★★★★
 熱海温泉
水口第一共同浴場
            あたみおんせん みなぐちだいいちきょうどうよくじょう
山東京山が1830(文政13)年に著した『熱海温泉図彙』に拠れば、第24代仁賢天皇4年の491年に蚊島穂台君の
屍を海に沈めたところ、海中から熱湯が噴き出して魚が焼け死んでしまったことから“あつみが崎”と呼ば
れるようになり、757(天平宝字元)年に箱根山に入山し、箱根三社権現を感得した万巻上人が、箱根へ向か
う途中、海中から湧き出す熱湯によって甚大な被害を被っていた漁民を助けようと、37日間の断食祈祷によ
って泉脈を海中から山腹へ移したと伝えられています。

温泉地として発展するのは、幕府の直轄領となった江戸時代。
特に徳川家康は、1604(慶長9)年3月に息子の義直・頼宣を伴って7日間逗留するなどこの湯を愛し、同年9月
には、京で療養中の吉川広家に見舞いとして温泉を送っています。
汲み上げた温泉を湯樽に詰めて運ぶ“御汲湯(おくみゆ)”は、4代家綱の1667(寛文7)年、駿府城代の松平重
信が江戸城に差し出してから行事となって歴代将軍に継承され、最も御汲湯が盛んとなった8代吉宗の1728
(享保13)年11月には、湯樽の運搬に船が利用されるようになりました。
近世以降も伊藤博文や大隈重信といった政府要人や軍人・文人がたびたび訪問し、尾崎紅葉が1897(明治30)
年から6年にわたって執筆した『金色夜叉』の舞台となってからは、全国的に有名となりました。
浴室は、手前から奥へ傾斜をつけ
たタイル張り。
仕切り壁のある右側には3基の水
カランが配されて洗い場となって
おり、左奥には1993年5月に新設
されたという1.5×0.9mほどの小
振りな人造石研出しの湯船が置か
れています。

成分表が見当たらなかったために
泉質に関する詳細は判りませんが、
傍らにある源泉カランからトボト
ボと注がれている無色透明の湯か
らは、芒硝臭がほんのり香り、微
弱ながら塩味も感じられました。
入口は中央にサッシの扉が2つ。
入浴券を購入した際に伺っておいたので、迷
うことなく手前側の扉から入場することがで
き、事なきを得ましたが、扉の周りには男女
の別が一切記されておらず、場合によっては
かなりの勇気を要するギャンブルを強いられ
ることになりそうです(笑)。

外観からも窺われるように、内部は幅1間半
ほどの小ぢんまりした造り。
それでも奥行き1間ほどの脱衣所には、白塗
りの脱衣箱が16庫備えられていました。
『水口第一共同浴場』は、1998年3月に熱海市有となった水口町に2か所ある共同浴場の一つで、初川の左岸
を上流に向かって上がり、熱海総合庁舎の前で川を横断、そのまま南西方向へ60mほど進むと、三叉路の横
断歩道の向こうに赤色の片流れ屋根を載せたトタン張りの浴舎が見えてきます。
熱海温泉は、静岡県の最東部、伊豆半島の東側の付け根に位置し、相模湾に臨む海岸沿いから丘陵傾斜地に
かけて120軒余りのホテル・旅館や3か所の共同浴場が点在する、わが国を代表する温泉地の一つです。

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天井との境に湯気抜きを設けた木造の浴舎は風情たっぷりで、別府八湯あたりの共同湯を思わせるような雰
囲気とともに、大いに魅了された浴場です。                      〔11.01.06〕
鄙びた造りに加え、浴舎にはここが
浴場であることの明示がどこにもな
く、一見しただけでは間違いなくジ
モ泉と思ってしまうでしょう。

月極め契約者以外の外来利用者は、
道向かいにある小山商店という酒屋
さんへ。ここで入浴券を購入し、裏
面に日付と氏名を記入したうえで、
浴場内にある中が見えるように作ら
れた木製の入浴券箱に入れるように
なっています。