住 所   静岡県熱海市渚町10-11
  電 話   0557-82-2922
 営業時間   2009.03.31 閉鎖
 入浴料   450円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   渚湯貯湯槽(熱海178・241号 全6本)
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   70.1  ℃
 pH   7.9
 成分総計   7.353 g/㎏
    Na=1503.0/K=113.5/Ca=1096.0/Mg=1.4(2713.9㎎/㎏)
  I=0.5/Br=6.3/Cl=4095.0/SO4=310.9/HCO3=21.1/
  S2O3=0.2/HPO4=0.5(4434.5㎎/㎏)
  HAsO2=0.3/H2Si03=184.3/HBO2=14.1(198.7㎎/㎏)
  C02=6.1(6.1㎎/㎏)            
〔2003.02.27〕

 入浴履歴   初訪09.03.20
 評 価   ★★★★
 熱海温泉
渚 浴 場
                         あたみおんせん なぎさよくじょう
湯船に掛け流されているのは、6本の源泉を混合した食塩泉。
無色透明の熱めの湯からは、肌がビリビリするような浴感とともに、仄
かな芒硝臭とやや強い塩苦味を感じることができました。

浴場の造り、温泉ともに個性のある良い共同湯であっただけに、やはり
閉鎖は残念です。
帰り際、おじさんに真偽を確かめ、「良いお湯でした」と声を掛けさせ
ていただいたところ、「恐れ入ります」と深々と頭を下げられたのがと
ても印象に残りました。

一度きりの訪問ながら、深く脳裏に刻まれた忘れられない浴場です。
                 〔10.12.27,13.08.11 画像追加〕
浴場は約1.6mと幅狭で、奥行きの長い鰻の寝床のような造り。

番台のある手前側が脱衣所で、左手には階段下をうまく利用して脱衣箱
が設えられています。
温泉地として発展するのは、幕府の直轄領となった江戸時代。
特に徳川家康は、1604(慶長9)年3月に息子の義直・頼宣を伴って7日間逗留す
るなどこの湯を愛し、同年9月には、京で療養中の吉川広家に見舞いとして温
泉を送っています。
汲み上げた温泉を湯樽に詰めて運ぶ“御汲湯(おくみゆ)”は、4代家綱の1667
(寛文7)年、駿府城代の松平重信が江戸城に差し出してから行事となって歴代
将軍に継承され、最も御汲湯が盛んとなった8代吉宗の1728(享保13)年11月に
は、湯樽の運搬に船が利用されるようになりました。

近世以降も伊藤博文や大隈重信といった政府要人や軍人・文人がたびたび訪
問し、尾崎紅葉が1897(明治30)年から6年にわたって執筆した『金色夜叉』の
舞台となってからは、全国的に有名となりました。
熱海温泉は、静岡県の最東部、伊豆半島の東側の付け根に位置し、相模湾に臨む海岸沿いから丘陵傾斜地に
かけて120軒余りのホテル・旅館や3か所の共同浴場が点在する、わが国を代表する温泉地の一つです。

山東京山が1830(文政13)年に著した『熱海温泉図彙』に拠れば、第24代仁賢天皇4年の491年に蚊島穂台君の
屍を海に沈めたところ、海中から熱湯が噴き出して魚が焼け死んでしまったことから“あつみが崎”と呼ば
れるようになり、757(天平宝字元)年に箱根山に入山し、箱根三社権現を感得した万巻上人が、箱根へ向か
う途中、海中から湧き出す熱湯によって甚大な被害を被っていた漁民を助けようと、37日間の断食祈祷によ
って泉脈を海中から山腹へ移したと伝えられています。

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浴室も本当に細長く、一
番奥には2名浸かるのが
精一杯の1.45×1.15mほ
どの青色タイル張りの湯
船が配され、そこから左
壁に沿って配管が延び、
3対のカランとシャワー1
基が設置されています。
『渚浴場』は、熱海港に面した親水公園の向かい、国道135号から渚館
という料理旅館が角に建つ一方通行の路地を20mほど入ると右手に所在
する共同浴場で、利用者の減少により2009年3月末をもって閉鎖される
という情報に接したことから急遽訪れました。

鉄筋コンクリート造り2階建て建物の1階が浴場となっていますが、飲み
屋などが入った周囲のビルの中に溶け込んでおり、“熱海立寄り温泉”
の紺色の暖簾と入口のガラス戸の“渚浴場”の白文字がなければ、通り
過ぎてしまいそうでした。
ガラス戸の先は左右に分かれた木戸。左側の戸を開けて中に入るとすぐ
右手に番台があり、湯番のおじさんに入浴料を支払います。