住 所   静岡県熱海市和田町3-9
  電 話   0557-81-9635
 営業時間   8:00~11:00・15:30~21:00 (不定休)
 入浴料   300円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   
  泉 質   カルシウム・ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   50.6  ℃
 pH   7.5
 成分総計   3.876 g/㎏
 





 入浴履歴   初訪09.03.20
 評 価   ★★★★
 熱海温泉
山 田 湯
                              あたみおんせん やまだゆ
“男湯”と書かれたサッシ扉と暖
簾の掛けのガラス戸の先にある脱
衣所は意外と広く、右側には18庫
の脱衣箱が備えられています。

1967年に造られたという浴室は、
水色のタイル張り。
左側には温冷カランと水カランが
2基ずつ並び、タイル画が嵌め込
まれた右手の仕切り壁の下には、
2.1×1.2mほどの隅丸長方形のタ
イル張り湯船が配されています。
湯船の右手前には源泉・水の2基のカランがあり、利用者が自在に湯温
を調整できるようになっています。

無色透明の清澄な湯からは、割としっかりした芒硝臭と微弱ながら塩味
が感じられ、食塩泉ながらさっぱりした浴感が印象に残りました。
『山田湯』は、温泉街の中心から南西へ
少し外れた住宅地に所在する、昭和30年
頃から営業されているという個人経営の
共同浴場です。

清水町商店街を南下して熱海金城館の向
かいの路地を斜め右に入り、和田川に架
かる染殿橋の手前から上流へ向かい、60
mほどのところで右岸側へ渡河。
10m余り先を右に折れ、車の通行もでき
ない狭い路地を進むと辿り着きます。

山東京山が1830(文政13)年に著した『熱海温泉図彙』に拠れば、第24代仁賢天皇4年の491年に蚊島穂台君の
屍を海に沈めたところ、海中から熱湯が噴き出して魚が焼け死んでしまったことから“あつみが崎”と呼ば
れるようになり、757(天平宝字元)年に箱根山に入山し、箱根三社権現を感得した万巻上人が、箱根へ向か
う途中、海中から湧き出す熱湯によって甚大な被害を被っていた漁民を助けようと、37日間の断食祈祷によ
って泉脈を海中から山腹へ移したと伝えられています。

温泉地として発展するのは、幕府の直轄領となった江戸時代。特に徳川家康は、1604(慶長9)年3月に息子の
義直・頼宣を伴って7日間逗留するなどこの湯を愛し、同年9月には、京で療養中の吉川広家に見舞いとして
温泉を送っています。
汲み上げた温泉を湯樽に詰めて運ぶ“御汲湯(おくみゆ)”は、4代家綱の1667(寛文7)年、駿府城代の松平重
信が江戸城に差し出してから行事となって歴代将軍に継承され、最も御汲湯が盛んとなった8代吉宗の1728
(享保13)年11月には、湯樽の運搬に船が利用されるようになりました。
近世以降も伊藤博文や大隈重信といった政府要人や軍人・文人がたびたび訪問し、尾崎紅葉が1897(明治30)
年から6年にわたって執筆した『金色夜叉』の舞台となってからは、全国的に有名となりました。

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富士山を描いたタイル画の効果もあ
るのでしょうが、浴室に足を踏み入
れた途端、そのレトロな佇まいと雰
囲気にたちまち魅了されてしまいま
した。
熱海では朝から利用することができ
る数少ない浴場であるとともに、か
つての巨大歓楽温泉地から変貌を遂
げつつある熱海温泉にあって、静か
で素朴な風情を今なお残す共同湯と
して、とても好感しました。
           〔11.01.02〕
個人宅でもある白壁2階建て建物
のうち、上がベランダとなった1
階の奥が浴場となっており、ちょ
うど庭先におられた女将さんが笑
顔で迎えてくださいました。
熱海温泉は、静岡県の最東部、伊豆半島の東側の付け根に位置し、相模湾に臨む海岸沿いから丘陵傾斜地に
かけて120軒余りのホテル・旅館や3か所の共同浴場が点在する、わが国を代表する温泉地の一つです。