住 所   大分県別府市千代町8-2
  電 話   0977-24-3028
 営業時間   13:00~23:00
 入浴料   100円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   別府温泉紙屋温泉
  泉 質   ナトリウム・マグネシウム・カルシウム-炭酸
  水素塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   56.0  ℃
 pH   7.24
 成分総計   1.126 g/㎏
    Li=0.9/Na=137.0/K=19.6/Ca=56.5/Mg=37.1/Al=0.4/
  NH4=0.1/Fe2=0.8/Mn=0.7(253㎎/㎏)
  F=0.2/Br=0.4/Cl=153.0/SO4=87.8/HCO3=423.0/
  CO3=0.4/HPO4=0.4(665㎎/㎏)
  HAs02=0.1/H2Si03=201.0/HBO2=6.6(207.7㎎/㎏)
                          
〔1991.07.17〕
 入浴履歴   初訪06.08.24,最終10.12.18(2回目)
 評 価   ★★★★
 別府温泉
紙 屋 温 泉
                       べっぷおんせん かみやおんせん
別府温泉は、JR日豊本線別府駅周辺の繁華街に所在する八湯の中心
となる温泉地で、別府湾に面した北浜地区には大型のホテル・旅館が
建ち並んでいます。

8世紀の初めに編まれた『伊予国風土記』に「速見の湯」として登場
し、鎌倉時代には、御家人であった大友頼康(1222~1300)によって温
泉奉行が置かれ、元寇の戦傷者が保養に訪れたと伝えられています。
また、江戸時代後期の1817(文化14)年に書かれた温泉番付『諸国温泉
効能鑑』では、西の前頭六枚目に位置付けられています。
明治時代に入り、流川の河口に旧別府港が完成(1871年)し、日豊本線
が延伸開業(1911年)すると大きく発展を遂げ、“山は富士、海は瀬戸
内、湯は別府”というキャッチフレーズを考案した油屋熊八の尽力も
あって、全国的に有名な観光・温泉地となりました。
別府温泉郷は、伽藍岳(硫黄山・1045.3m)と鶴見岳(1374.5m)という2つの活火山の東麓に湧く、わが国を
代表する温泉地です。

温泉郷内には、“別府八湯”と総称される別府・亀川・柴石・鉄輪・明礬・堀田・観海寺・浜脇という個性
豊かな8か所の温泉地が点在し、掲示用新泉質名として大別される10の泉質のうち、7種類の湯を楽しむこと
ができます。
泉源の数は別府市内で2292孔、湧出量は毎分87636ℓ(『平成29年度 東部保健所報』より)を数え、“泉都”
の名に相応しい日本一の豊富な湯量を誇っています。
側面の湯口から静かに掛け流されているのは、高温の独自源
泉。
初訪時には少金気臭味がはっきり感じられ、お湯そのものも
うっすら褐色掛かっていましたが、再訪した時は清澄な透明
湯で、仄かに成分臭が香る程度でした。


初めて訪れた時、洗面器が見当たらずに途方に暮れていたと
ころ、常連さんが親切に在り処を教えて下さり、さらに、湯
が熱いから加水している水カラン付近に入浴するよう勧めて
下さったり、右奥の源泉枡から柄杓で汲んで飲泉できるよう
になっていることを教えて下さいました。
また、湯上がりには湯番のおばさんも気軽に声を掛けて下さ
るなど、とても人情味に溢れ、個性の感じられる湯とともに
大いに好感しました。            〔11.04.01〕
板張りの脱衣所には18庫の脱衣箱が鉤形に配され、右手の浴室との間は4枚
引きのガラス戸で仕切られています。
別府八湯の共同浴場では少数派の造りですが、引戸には透明のガラスが用い
られており、脱衣所からは浴場の様子が手に取るように分かります。
建物は鉄筋2階建てのかなり大き
なもので、2階には紙屋公民館と
いう公民館が併設されています。
紙屋薬師如来が祀られている入口
脇には足湯と飲泉所が設けられて
おり、湯めぐりに疲れた身体と喉
を癒すのにとても助かりました。

入口は男女別に左右で分かれ、中
へ入って番台で入浴料を直接支払
うようになっています。

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脱衣所から2段下がった位置にある浴室
はタイル張り。

仕切り壁のある右側には3基の水カラン
が並び、中央には側面が温泉成分の析出
によって赤茶色と化した2.35×1.7mほ
どのタイル張り湯船が配されています。
『紙屋温泉』は、駅前通り(県道32号)から旧街道である西法寺通りに
入り、南へおよそ650m向かった左手、千代町に所在する市有区営の
共同浴場で、50mほど南には市営共同浴場の永石温泉が位置していま
す。

“紙屋の湯”とも呼ばれていた1874(明治7)年に整備された歴史のあ
る浴場で、明治期の後半には南町の共同浴場として利用されていたそ
うです。
通りから路地を30数m入ったところにあり、通りの案内板にも「路地
裏の情緒」というコピーが付されていますが、現在は前面も裏側一帯
も建物が撤去されて駐車場となっており、むしろかなり見通しの良い
立地条件にあります。