住 所   大分県別府市元町16-23
  電 話   0977-23-1585
 営業時間   6:30~22:30 (砂湯 8:00~)
 入浴料   100円 (砂湯 1030円)
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   竹瓦温泉(男湯)
  泉 質   ナトリウム・カルシウム・マグネシウム-塩化物・
  炭酸水素塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   53.6  ℃
 pH   7.3
 成分総計   2.516 g/㎏
    Li=1.9/Na=415.0/K=50.1/Ca=174.2/Mg=87.0/Fe2=1.6/
  Mn=1.4(731.2㎎/㎏)
  Cl=852.0/SO4=81.0/HCO3=524.2(1457.2㎎/㎏)
  HAsO2=0.3/H2Si03=229.5/HBO2=3.9(233.7㎎/㎏)
  C02=93.8(93.8㎎/㎏)        
    
〔2009.03.27〕
 入浴履歴   初訪06.08.24,最終10.10.10(2回目)
 評 価   ★★★★★★★
 別府温泉
竹 瓦 温 泉
                      べっぷおんせん たけがわらおんせん
2004年6月に国の登録有
形文化財に登録された木
造建物は、中央の入母屋
造り2階建ての両側に入
母屋造りと寄棟造りの平
屋建てを組み合わせた重
厚な御殿造り。
当初は“乾液泉”と呼ば
れていましたが、1902年
に創建時の竹葺きから瓦
葺きとなったことから改
名され、1913・1938年の
改築を経て現在の姿とな
りました。
別府温泉郷は、伽藍岳(硫黄山・1045.3m)と鶴見岳(1374.5m)という2つの活火山の東麓に湧く、わが国を
代表する温泉地です。

温泉郷内には、“別府八湯”と総称される別府・亀川・柴石・鉄輪・明礬・堀田・観海寺・浜脇という個性
豊かな8か所の温泉地が点在し、掲示用新泉質名として大別される10の泉質のうち、7種類の湯を楽しむこと
ができます。
泉源の数は別府市内で2288孔、湧出量は毎分87550ℓ(『平成30年度 東部保健所報』より)を数え、“泉都”
の名に相応しい日本一の豊富な湯量を誇っています。
それでも、歴史の長さを
実感できる浴場に身を置
いているだけでも十分満
足でき、床に腰を下ろし
て火照った身体を冷まし
つつ、湯船から湯が溢れ
出す様や高い天井を眺め
ながら、一人静かにその
風情を堪能しました。
〔10.12.23,15.04.12 構
 成変更・記事補訂〕
加水されているものの湯温がかなり高く、湯船にずっと浸か
り続けていることはできません。
浴室はタイル張りで、半地下式に掘り下げられている結果として天井ま
でがかなり高く、その下にガラス窓が巡らされているため、室内の採光
はとても良好です。
中央には3.85×2.4mほどの蒲鉾形を呈した平石張りの湯船が配され、
前面の壁タイルには竹の絵が描かれています。
浴室の右奥には“湯元”と
呼ばれる源泉枡があり、泉
源から引き込んだ高温の源
泉をここで冷まし、湯船へ
の注入量を枡内の栓で調整
しています。

湯船には槽内側面の湯口か
ら静かに加えられている独
自源泉が湛えられ、わずか
に濁りのある透明湯からは、
微弱ながら鉱物臭を感じる
ことができました。
浴場は脱衣所と浴室の間に壁や仕切りのない一体型で、浴室は手前に
ある脱衣所から階段で9段下りた半地下に設けられています。
この浴室・脱衣所一体の半地下式浴室は、別府温泉の共同浴場の一つ
の形式で、竹瓦温泉はその典型とも言える造りをしています。

脱衣所には左手前に脱衣箱、その奥にロッカーが20庫ずつ置かれ、一
番奥には有料の鍵付きロッカーが15庫備えられていました。
見事な銅板葺きの唐破風玄関から中
へ入り、右手の受付で入浴料を支払
って正面を向けば、眼前には黒光り
する板張りのホールが広がり、まさ
に“湯屋”という語が相応しいレト
ロな雰囲気が漂っています。

湯上がり後に休息もできる広々とし
たホールを挟み、左が名物の砂湯、
右が男女別の普通浴場となっており、
青い暖簾が掛かった男湯へ向かいま
す。
『竹瓦温泉』は、別府駅の東口から
駅前通り(県道32号)を東進し、3つ
目の信号交差点から南へ延びるソル
パセオ銀座と呼ばれるアーケードに
入り、220m先で案内板にしたがっ
て左へ折れ、竹瓦温泉通りと名付け
られた路地を再び東へ100mほど向
かうと左手に所在する、1879(明治
12)年に創設された別府温泉のラン
ドマーク的な存在となっている市営
の共同浴場です。
別府温泉は、JR日豊本線別府駅周辺の繁華街に所在する八湯の中心
となる温泉地で、別府湾に面した北浜地区には大型のホテル・旅館が
建ち並んでいます。

8世紀の初めに編まれた『伊予国風土記』に「速見の湯」として登場
し、鎌倉時代には、御家人であった大友頼康(1222~1300)によって温
泉奉行が置かれ、元寇の戦傷者が保養に訪れたと伝えられています。
また、江戸時代後期の1817(文化14)年に書かれた温泉番付『諸国温泉
効能鑑』では、西の前頭六枚目に位置付けられています。
明治時代に入り、流川の河口に旧別府港が完成(1871年)し、日豊本線
が延伸開業(1911年)すると大きく発展を遂げ、“山は富士、海は瀬戸
内、湯は別府”というキャッチフレーズを考案した油屋熊八の尽力も
あって、全国的に有名な観光・温泉地となりました。

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