住 所   大分県別府市元町5-23
  電 話   0977-23-3058 (福助堂)
 営業時間   2016.06.30 熊本地震の被害により閉鎖
 入浴料   100円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   
  泉 質   (重炭酸土類泉)
 湧出量       ℓ/min
 泉 温        ℃
 pH   
 成分総計         g/㎏
 





 入浴履歴   初訪06.08.24,最終10.10.10(2回目)
 評 価   ★★★★
 別府温泉
梅 園 温 泉
                      べっぷおんせん うめぞのおんせん
浴場は脱衣所とその奥の浴室との間に仕切りがない一体型の
造りで、脱衣所には左手前に19庫の脱衣箱が設えられていま
す。
小2段ほど下がった位置にある浴室は、温泉成分によって茶
色に変色したモザイクタイル張りで、中央には長径2.2m、
短径1.6mほどの小判形を呈したタイル張りの湯船が置かれ
ています。

向かって右奥にある源泉枡では、ボコボコッという音を立て
て60℃近い独自源泉が噴出しており、そこから湯口側面の湯
口を介して高温泉が掛け流されています。
少し熱めの無色透明の湯からは、鉱物臭がほんのり香り、つ
るっとした肌触りが楽しめるさっぱりとした浴感が特徴で、
湯船の底に張られた玉石タイルがキラキラしていたのがとて
も印象に残りました。
駅前通り(県道32号)からソルパセオ銀座という商店街を180m南下し、梅園
通りと呼ばれるスナックや飲み屋などが建ち並ぶ石畳の細い通りを西へ向か
うと、35mほど先の左手に幅が1mにも満たない狭い路地が建物と建物の間
にあり、恐る恐るその中に入っていくと左側に浴場の入口が現われます。
ただし、ソルパセオ銀座にも梅園通りに
も浴場の存在を示す案内板などはまった
くなく、路地の入口から少し離れて正対
すると、見上げた位置にようやく「梅園
温泉 入口」という小さな看板を見つける
ことができます。

管理人さんがいないお賽銭式の浴場で、
手前の男湯入口から中へ入るとすぐ右手
に料金箱が備えられており、外来利用者
は入浴料を100円硬貨で支払います。
別府温泉は、JR日豊本線別府駅周辺の繁華街に所在する八湯の中心
となる温泉地で、別府湾に面した北浜地区には大型のホテル・旅館が
建ち並んでいます。

8世紀の初めに編まれた『伊予国風土記』に「速見の湯」として登場
し、鎌倉時代には、御家人であった大友頼康(1222~1300)によって温
泉奉行が置かれ、元寇の戦傷者が保養に訪れたと伝えられています。
また、江戸時代後期の1817(文化14)年に書かれた温泉番付『諸国温泉
効能鑑』では、西の前頭六枚目に位置付けられています。
明治時代に入り、流川の河口に旧別府港が完成(1871年)し、日豊本線
が延伸開業(1911年)すると大きく発展を遂げ、“山は富士、海は瀬戸
内、湯は別府”というキャッチフレーズを考案した油屋熊八の尽力も
あって、全国的に有名な観光・温泉地となりました。
別府温泉郷は、伽藍岳(硫黄山・1045.3m)と鶴見岳(1374.5m)という2つの活火山の東麓に湧く、わが国を
代表する温泉地です。

温泉郷内には、“別府八湯”と総称される別府・亀川・柴石・鉄輪・明礬・堀田・観海寺・浜脇という個性
豊かな8か所の温泉地が点在し、掲示用新泉質名として大別される10の泉質のうち、7種類の湯を楽しむこと
ができます。
泉源の数は別府市内で2288孔、湧出量は毎分87550ℓ(『平成30年度 東部保健所報』より)を数え、“泉都”
の名に相応しい日本一の豊富な湯量を誇っています。
『梅園温泉』は、1916(大正5)年に藤沢徳太郎氏ほか4名が創設し、2年後の1918年、経営不振によって市有と
なった市有区営の共同浴場で、同じ元町に所在する竹瓦温泉に対し、一時は“新竹瓦温泉”と呼ばれていま
した。

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同浴した組合員の方や管理されている竹細工の福助堂のご主人に伺ったお話では、市観光協会からの依頼に
より止む無く開放しているものの、本来は組合員専用の言わば隠れ湯であったそうです。

外来利用者は、正しく入浴料を納めることはもちろんのこと、きちんと入浴マナーを守り、開放されている
ことを当たり前とは思わず、感謝の気持ちを忘れずに利用していかなければならない、という気持ちを改め
て強く抱かされた浴場でした。                             〔11.02.03〕