住 所   大分県別府市北浜3-2-18
  電 話   0977-24-2121
 営業時間   立寄り 月・水・木 10:00~15:00
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   山田別荘の湯 / 行合温泉
  泉 質   ナトリウム・マグネシウム-炭酸水素塩泉 /
  ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   55.3 / 63.0  ℃
 pH   8.05 / 8.28
 成分総計   1.532 / 1.417 g/㎏
    Li=1.3/Na=194.4/K=16.6/Ca=43.8/Mg=35.7/Fe2=0.2/
  Mn=0.2(292.2㎎/㎏)
  Cl=91.0/SO4=60.2/HCO3=656.6(807.8㎎/㎏)
  HAsO2=0.2/H2SiO3=228.4/HBO2=6.2(234.8㎎/㎏)
  CO2=196.7(196.7㎎/㎏)         〔2015.06.26〕

  Li=1.5/Na=262.8/K=25.8/Ca=25.4/Mg=22.0/Fe2=0.1/
  Mn=0.1(337.7㎎/㎏)
  Cl=133.1/SO4=66.5/HCO3=671.2(870.8㎎/㎏)
  HAsO2=0.3/H2SiO3=183.9/HBO2=9.1(193.3㎎/㎏)
  CO2=15.6(15.6㎎/㎏)         〔2015.06.26〕
 入浴履歴   初訪10.07.18
 評 価   ★★★★★★
 別府温泉
くつろぎの温泉宿 山田別荘
          べっぷおんせん くつろぎのおんせんやど やまだべっそう
脱衣所から階段を6段下りた半地下にあるモザイクタイル張りの浴室に
は、正面に2基のシャワーカランが並び、左手前にオーバル形を4分割し
たような幅2.3m、奥行き1.65mほどのタイル張り湯船が配されていま
す。
今回利用させていただいたのは、帳
場から廊下を右手に進んでその先を
左へ折れ、そのまま奥に向かうと突
き当たりに設けられている“法主の
湯”という内湯。

扉の先にある板張りの脱衣所は、奥
行きのない横長の空間で、右側には
5個の籠を納めた4段の棚が設えられ、
左奥には木机の上にアンティークな
水鉢・カランや扇風機が置かれ、レ
トロな雰囲気が演出されていました。
『くつろぎの温泉宿 山田別荘』は、
駅前通り(県道32号)から海門寺通り
を北へ270mほど向かい、仲間通り
という幅員の狭い通りを60m余り東
進すると左手に所在する、住宅地の
中に埋もれるようにひっそりと佇む
純和風の温泉旅館です。

広島の実業家であった先々代当主の
山田英三氏が夫人のために1930年に
建築した保養別荘“静寿堂”を、息
子の定男氏が1951年に旅館に衣替え。
別府温泉郷は、伽藍岳(硫黄山・1045.3m)と鶴見岳(1374.5m)という2つの活火山の東麓に湧く、わが国を
代表する温泉地です。

温泉郷内には、“別府八湯”と総称される別府・亀川・柴石・鉄輪・明礬・堀田・観海寺・浜脇という個性
豊かな8か所の温泉地が点在し、掲示用新泉質名として大別される10の泉質のうち、7種類の湯を楽しむこと
ができます。
泉源の数は別府市内で2292孔、湧出量は毎分87636ℓ(『平成29年度 東部保健所報』より)を数え、“泉都”
の名に相応しい日本一の豊富な湯量を誇っています。

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湯船に満たされているの
は、自家源泉である含食
塩-重曹泉。
適温となった少し濁りの
ある湯は、ほぼ無味無臭
ながら若干甘味があり、
柔らかな浸かり心地とつ
るつるした肌触りを楽し
むことができました。

半地下ということもあっ
て天井が高く、静謐で風
情たっぷりな浴場に、十
分満足感を覚えました。
      〔11.12.17〕
約600坪の広大な敷地内には、雁
行形に配置された入母屋造り木造
2階建ての主屋のほか、玄関の右
横には洋室も造られ、現在もロビ
ーとして利用されています。

浴場は、2000年に庭の池を潰して
造られた建物左手の露天風呂と、
家族風呂として利用できる2か所
の内風呂が設けられています。
別府温泉は、JR日豊本線別府駅周辺の繁華街に所在する八湯の中心
となる温泉地で、別府湾に面した北浜地区には大型のホテル・旅館が
建ち並んでいます。

8世紀の初めに編まれた『伊予国風土記』に「速見の湯」として登場
し、鎌倉時代には、御家人であった大友頼康(1222~1300)によって温
泉奉行が置かれ、元寇の戦傷者が保養に訪れたと伝えられています。
また、江戸時代後期の1817(文化14)年に書かれた温泉番付『諸国温泉
効能鑑』では、西の前頭六枚目に位置付けられています。
明治時代に入り、流川の河口に旧別府港が完成(1871年)し、日豊本線
が延伸開業(1911年)すると大きく発展を遂げ、“山は富士、海は瀬戸
内、湯は別府”というキャッチフレーズを考案した油屋熊八の尽力も
あって、全国的に有名な観光・温泉地となりました。