住 所   長野県上田市別所温泉214
  電 話   0268-38-5750 (別所温泉財産区)
 営業時間   6:00~22:00 (休=第1・3水)
 入浴料   150円
温泉利用状況   放流循環併用式 (月2日の休日に塩素系薬剤
             使用)
   
 源 泉 名   4号源泉・別所温泉大湯源泉 混合泉
  泉 質   単純硫黄温泉
 湧出量      / 90  ℓ/min
 泉 温   50.6 / 38.9 ℃
 pH   8.7 / 8.7
 成分総計   0.3070 / 0.3344 g/㎏
    Li=0.05/Sr=0.1/Na=74.3/K=0.7/Ca=13.2/Al=0.02
  (88.4㎎/㎏)
  F=0.9/Br=0.1/Cl=43.5/SO4=83.9/HCO3=19.3/CO3=7.5/
  HS=6.6/S2O3=7.5/HPO4=0.1(169.4㎎/㎏)
  H2Si03=47.2/HBO2=1.8(49.0mg/kg)
  H2S=0.2(0.2㎎/㎏)
              〔2014.06.20〕

  Na=86.5/K=0.6/Ca=9.3/NH4=0.1(96.5㎎/㎏)
  F=1.5/Cl=50.8/SO4=67.4/HCO3=39.3/CO3=18.0/
  HS=11.7(188.7㎎/㎏)
  H2Si03=43.6/HBO2=3.3(48.9㎎/㎏)
  H2S=0.3(0.3㎎/㎏)

 入浴履歴   初訪08.09.28,最終10.11.07(3回目)
 評 価   ★★★★
 別所温泉
大  湯
                            べっしょおんせん おおゆ
紅御影石の石板張りの浴室
には、正面左半から左壁に
かけて洗い場が設けられ、
右手前に上がり湯槽、右奥
に寄せて長方形のタイル張
り湯船が配されています。

また、左奥の扉から外に出
ると、共同浴場には珍しい
石造りの露天風呂が設置さ
れていました。
浴場は、手前の脱衣所と奥に続く浴室がガラス戸によって画された分離型。
板張りの脱衣所は、左右に24庫の脱衣箱と籠が備えられただけの素朴な造りですが、“大湯”の名に相応し
く、他の浴場と比べると広めの造りとなっています。
木曾義仲が依田城を根拠地としていたころ、負傷した愛妾葵御前の傷
を癒すために湯屋を建てたのを嚆矢とする湯で、吉川英治が1950年か
ら57年にかけて週刊朝日に連載した『新平家物語』にも、2人が仲睦
まじく入浴する様子が描かれています。
その後、鎌倉時代には、幕府の連署として8代執権 北条時宗を補佐し
た北条義政が、遁世後に塩田荘に居を構え、この湯を愛浴したことか
ら“北条の湯”とも呼ばれたそうです。

浴舎は3層の瓦葺き屋根(下層はスレート葺き)の正面に堂々とした唐
破風を載せた豪壮な白壁建物で、左手前に設けられた飲泉所には「木
曾義仲ゆかり 葵の湯」の石柱が添えられています。
その後ろには券売機が設置されており、他の共同浴場と同様、入口の
格子戸を入って正面にある番台へ手渡すようになっていました。
『大湯』は、別所温泉街のメインストリートである県道別所丸子線(82号)沿いではなく、上田電鉄の別所温
泉駅の先で分かれて南南西へ延びる鹿教湯別所上田線を420mほど進んだ先、北向観音の東で数軒の温泉旅
館が建ち並ぶ一角に所在する共同浴場です。

別所温泉は、国道18号(北国街道)から国道143号(松本街道)と県道上
田丸子線(65号)・鹿教湯別所上田線(177号)経由で約8.7㎞、上田市南
西の塩田平と呼ばれる盆地の奥の夫婦岳(1250m)の東麓に所在する、
16軒の宿泊施設と共同浴場3か所、日帰り入浴施設1か所からなる温泉
地です。

塩田平は、弘法大師空海が創建したと伝えられる前山寺や中禅寺・龍
光院といった古刹・文化財の宝庫であることから“信州の鎌倉”と称
され、当温泉にも南向きの長野市善光寺と相対しているという北向観
音や全国で唯一の八角三重塔を擁する安楽寺、重要文化財の石造多宝
塔のある常楽寺などが点在しています。

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各湯船に供されているのは、上がり湯にも利用されている大湯源泉を加えて湯温調整した4号源泉。
茹で玉子のような硫黄臭が一際芳ばしいこの独自源泉のおかげでしょうか、石湯と同じように循環式が併用
されているにもかかわらず、うっすらと黄緑色掛かった透明の湯からは、つるりとした肌触りとともに硫黄
臭がはっきりと香り、適温でじっくりと浸かれたこともあって、思いのほか満足することができました。


別所温泉を代表する浴場であるだけに、完全放流式が採られていない点は残念ですが、いつ訪れても利用者
が絶えない人気にも十分納得の湯でした。                        〔10.11.10〕
日本武尊が東征の帰途、山中に湧く7つの湯を発見し、兵たちを癒したことか
ら“七苦離の湯”(後、七久里の湯)と名付けられたという伝説を残す古湯で、
平安時代中期、清少納言が『枕草子』(能因本)117段で記した「湯はななくり
の湯、有馬の湯、玉造の湯」のななくりの湯は、この温泉であるとする説もあ
ります。

鎌倉時代には、承久の乱(1221年)で佐渡配流となった順徳天皇によって、名取
御湯(宮城県 秋保温泉)、犬養御湯(長野県 野沢温泉)または三函御湯(福島県
いわき湯本温泉)とともに「三御湯」(信濃御湯)に選ばれ、また、塩田北条氏の
別院がこの地に置かれたことから、“別所”と呼ばれるようになりました。
近世には上田藩の庇護下に置かれ、信仰・行楽の対象として多くの人々がこの
地を訪れたそうです。