住 所   愛媛県松山市道後湯之町5-6
  電 話   089-921-5141
 営業時間   6:00~23:00(霊の湯 22:00)
 入浴料   神の湯 階下400円・2階席800円
  霊の湯 2階席1200円・3階個室1500円
温泉利用状況   完全放流式 (塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   道後温泉第2分湯場(道後温泉第6・8・9・17・19・
               21・25・26・28号源泉)
  泉 質   単純温泉(アルカリ性)
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   48.0  ℃
 pH   9.1
 成分総計   0.2706 g/㎏
    Li=0.2/Na=71.7/K=0.6/Ca=4.7/Mg=0.3(77.5㎎/㎏)
  F=12.4/Cl=27.1/SO4=22.0/HCO3=68.9/CO3=6.7/
  OH=0.2/NO3=0.8(137.5㎎/㎏)
  H2Si03=50.6/HBO2=4.4(55.0㎎/㎏)
                           〔2004.01.27〕
 入浴履歴   初訪09.12.12
 評 価   ★★★★★★
 道後温泉
道後温泉本館
                    どうごおんせん どうごおんせんほんかん
神の湯を利用するには、階下の場合は中央廊下の途中から直
接脱衣所へ、2階席の場合は奥の階段を上り、左手の大広間
で席を指定された後、浴衣に着替えて奥の専用階段を下りて
いきます。
脱衣所は結構広めで、左側には木造りの鍵付きロッカーがず
らっと並んでいます。

男湯の場合、同じ造りの浴室が東西隣り合って2つあり、石
板張りの重厚な浴室には、それぞれ内側に6、その手前に2、
外側に5基のシャワーカラン、中央奥に花崗岩の御影石で造
られた隅丸長方形の湯船が配され、湯船の背後の壁には大き
なタイル画が飾られています。
タイル画の前に置かれた庵治石製の大きな湯釜からは、9本
の源泉を混合した共同源泉がたっぷりと注がれ、湯船の縁か
らザバザバと気持ち良く溢れ出しています。
瓦葺きの剛毅な唐破風屋根の下に「道
後温泉」の額が掛けられた入口のすぐ
右手が札場。
ここで4コースに分かれる入浴券を購
入し、424足分もの木製の下足箱が備
えられた下足場の先にある改札口で入
浴券を見せ、中央廊下を奥へ進みます。

1階に“神の湯”と“霊の湯”という2
つの浴場が設けられており、道後到着
後に家族で訪れた際は貸浴衣・お茶・
せんべい付きの神の湯2階席、その夜
一人で訪ねた2度目は入浴のみの神の
湯階下を選択しました。
なお、せんべいに代わって名物の“坊
っちゃん団子”が付く霊の湯3階個室を除いて、各コースとも利用時間は1時間
となっています。
その後、1899(明治13)年に
は皇室専用の湯殿である又
新殿(ゆうしんでん)と霊の
湯棟、1924(大正13)年には
南棟と玄関棟が増築され、
1994年12月、湯屋建築とし
ては初めて国の重要文化財
に指定されました。

東面する又新殿は、銅板葺
きの入母屋破風と軒唐破風
が重なり、風雅な印象を与
えてくれます。
『道後温泉本館』は、東の湯田中温泉大湯と並んで共同浴場番付の
西の横綱に位置付けられている道後温泉の共同浴場で、伊予鉄道城
南線道後温泉駅から鉤形に延びる道後温泉商店街を280mほど歩い
て東へ抜けると、正面に風格ある木造3層楼の近代和風建築が姿を
現わします。

1890(明治23)年、道後湯之町の初代町長である伊佐庭如矢(ゆきや)
が、自らの給料も返上して確保した13万5千円という巨費を投入し、
当時最大の懸案であった老朽化した施設を城大工の坂本又八郎を起
用して改築したもので、1894(明治27)年、3か所の軒唐破風の入口
を有し、屋根の上に刻太鼓が打ち鳴らされる振鷺閣(しんろかく)を
載せた神の湯本館が竣工しました。
道後温泉は、夏目漱石の名作『坊っちゃん』の中にも登場する愛媛県の県庁所在地 松山市に湧く“日本三古
泉”に数えられる古湯で、ランドマークである道後温泉本館を中心に30軒余りの旅館・ホテルが集まる、四
国のみならずわが国を代表する温泉地の一つです。

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少し熱めとなった無色透明の湯には、2003年の県条例改正によって塩素系薬剤が投与されており、湯口で成
分臭を仄かに感じることができたと同時に、湯船では塩素臭が少し気になりました。

朝6時の営業開始直後から終日利用客が途絶えることのない大人気の浴場であるだけに、一定止むを得ない
措置かもしれませんが、建物外観や浴場が風情たっぷりで素晴らしいだけに、肌がすべすべする歴史ある名
湯を源泉のままで堪能できず、ちょっぴり残念に思いました。               〔11.08.14〕
大広間
又新殿・霊の湯棟
南棟
神の湯本館
白鷺が岩の間から流れ出る湯で傷を癒していたことから発見されたと伝えら
れ、鎌倉時代後期に成立したとされる『釈日本紀』巻14には、伊予国風土記の
逸文として、大国主命が大分の速見(別府)から樋を利用して温泉を引き、急病
の少彦名命を湯浴みさせたところ回復した、あるいは、596(推古4)年、聖徳太
子が渡来僧の慧思と葛城臣を伴ってこの地を訪れ、温泉の妙験に感嘆して伊佐
爾波(いさにわ)の丘に碑文を建立したと記載されています。
また、『日本書紀』や『伊佐爾波神社社伝』に拠れば、舒明天皇(639年)・斉
明天皇(661年)も行幸し、白村江の戦に向けて集結した連合軍の出港に際して
斉明天皇が詠んだとされる「熟田津(にきたつ)に 船乗りせんと 月待てば 湖
もかなひぬ 今はこぎいでな」という歌が残されています。

その後、1288(正応元)年には、一遍上人が豪族の河野通有からの依頼で湯釜の
宝珠に“南無阿弥陀仏”の名号を記し、江戸時代には、伊予松山藩の初代藩主
松平定行が、藩主に就いた翌年の1636(寛永13)年に温泉施設の充実に着手して
以来、歴代藩主によってその整備が図られ、1795(寛政7)年には小林一茶も入
湯し、「寝ころんで 蝶泊らせる 外湯哉」の句を残しています。