住 所   愛媛県松山市道後湯之町19-22
  電 話   089-935-6586
 営業時間   6:30~23:00
 入浴料   360円
温泉利用状況   完全放流式 (塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   道後温泉第1分湯場(道後温泉第7・13~15・17・
               19・21・24源泉)
  泉 質   単純温泉(アルカリ性)
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   44.6  ℃
 pH   9.1
 成分総計   0.2711 g/㎏
    Li=0.2/Na=71.4/K=0.7/Ca=6.9/Mg=0.4(79.6㎎/㎏)
  F=11.8/Cl=26.1/SO4=23.8/HCO3=69.8/CO3=6.2/
  OH=0.2/NO3=1.0(138.9㎎/㎏)
  H2Si03=48.3/HBO2=4.2(52.50㎎/㎏)
                           〔2004.01.27〕

 入浴履歴   初訪09.12.13
 評 価   ★★★★★★
 道後温泉
椿 の 湯
                             どうごおんせん つばきのゆ
本館の神の湯には及びませんが、脱衣所は広めで、10円有料
式の鍵付きスチールロッカーが210庫も備えられています。

石板張りの浴室は、神の湯の倍はあろうかという広々とした
重厚な造りで、中央には花崗岩の御影石で造られた7.7×3.1
mほどの隅丸長方形の湯船が置かれ、左右両側に各8基と右
手前に5基のシャワーカラン、左手前に2基のシャワーがそれ
ぞれ配されていました。

神の湯よりさらに大きな庵治石製の湯釜からザブザブと掛け
流されているのは、本館とは異なる8本の源泉を混合した第1
分湯場から引かれている共同源泉。
肌のすべすべ感は本館の湯の方が幾分勝っているものの、無
色透明の少し熱めの湯からは塩素臭がほとんど感じられず、
落ち着いて湯浴みを楽しむことができました。
『椿の湯』は、1953年、松山市での第8回国民体育大会開催を機に道後温泉本館の姉妹館として創設された公
衆浴場で、伊予鉄道城南線道後温泉駅から北へ約180m、鉤形に延びる道後温泉商店街のちょうど鉤の角のと
ころに位置しています。
道後温泉は、夏目漱石の名作『坊っちゃん』の中にも登場する愛媛県の県庁所在地 松山市に湧く“日本三古
泉”に数えられる古湯で、ランドマークである道後温泉本館を中心に30軒余りの旅館・ホテルが集まる、四
国のみならずわが国を代表する温泉地の一つです。

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観光客や宿泊客でごった返している本館を敬遠してか、地元の皆さんはもっぱらこちらの浴場を利用してい
る様子で、日曜日の早朝にもかかわらず、朝湯を楽しもうとする方々が次から次へと訪れていました。

歴史に裏付けされた風格ある佇まいは到底本館には敵わないものの、浴室内の雰囲気や温泉の浸かり心地な
ど、こちらに軍配を挙げ得る要素もあり、期待以上に好感した浴場でした。         〔11.08.18〕
1984年に改築されたという浴舎は
白壁土蔵風の堂々としたもので、
浴場名の“椿”は、聖徳太子が残
したという前述した漢文体の碑文
に由来しているそうです。

大きな暖簾が掛かった黒格子のガ
ラス戸を開けて館内に入ると、左
手に下足箱、右に自動券売機が置
かれており、下足場の先にある受
付で入浴券を手渡し、右奥にある
浴場へ向かいます。
白鷺が岩の間から流れ出る湯で傷を癒していたことから発見されたと伝えられ、
鎌倉時代後期に成立したとされる『釈日本紀』巻14には、伊予国風土記の逸文
として、大国主命が大分の速見(別府)から樋を利用して温泉を引き、急病の少
彦名命を湯浴みさせたところ回復した、あるいは、596(推古4)年、聖徳太子が
渡来僧の慧思と葛城臣を伴ってこの地を訪れ、温泉の妙験に感嘆して伊佐爾波
(いさにわ)の丘に碑文を建立したと記載されています。
また、『日本書紀』や『伊佐爾波神社社伝』に拠れば、舒明天皇(639年)・斉
明天皇(661年)も行幸し、白村江の戦に向けて集結した連合軍の出港に際して
斉明天皇が詠んだとされる「熟田津(にきたつ)に 船乗りせんと 月待てば 湖
もかなひぬ 今はこぎいでな」という歌が残されています。

その後、1288(正応元)年には、一遍上人が豪族の河野通有からの依頼で湯釜の
宝珠に“南無阿弥陀仏”の名号を記し、江戸時代には、伊予松山藩の初代藩主
松平定行が、藩主に就いた翌年の1636(寛永13)年に温泉施設の充実に着手して
以来、歴代藩主によってその整備が図られ、1795(寛政7)年には小林一茶も入
湯し、「寝ころんで 蝶泊らせる 外湯哉」の句を残しています。