住 所   熊本県八代市日奈久浜町232
  電 話   
 営業時間   600~10:00 / 14:00~22:00
 入浴料   200円
温泉利用状況   完全放流式 (加温あり・塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   八代市日奈久温泉センター 第1~4号温泉源
  泉 質   単純温泉
 湧出量   199 / 228 / 109 / 85  ℓ/min
 泉 温   34.5 / 39.0 / 38.1 / 46.0  ℃
 pH   8.18 / 8.45 / 8.18 / 8.37
 成分総計   0.8481 / 0.6983 / 0.9673 / 0.4362 g/㎏
    Na=242.2/K=2.5/Ca=9.4/Mg=0.4(254.5㎎/㎏)
  F=0.6/Cl=312.1/SO4=24.1/HCO3=195.4/HS=0.3
  (532.5㎎/㎏)
  H2SiO3=30.9/HBO2=8.2(39.1㎎/㎏)
  CO2=22.0(22.0㎎/㎏)         〔2007.10.26〕

  Na=245.5/K=2.5/Ca=8.5/Mg=0.3(256.8㎎/㎏)
  F=0.7/Cl=320.2/SO4=14.0/HCO3=58.7/CO3=9.0/
  HS=0.2(402.8㎎/㎏)
  H2SiO3=33.6/HBO2=5.1(38.7㎎/㎏)  〔2007.10.26〕

  Na=292.9/K=2.7/Ca=11.7/Mg=0.4(307.7㎎/㎏)
  F=0.7/Cl=414.0/SO4=12.8/HCO3=189.3/HS=0.7
  (617.5㎎/㎏)
  H2SiO3=34.5/HBO2=7.6(42.1㎎/㎏)
  〔2007.10.26〕


  Na=152.1/K=1.3/Ca=2.5/Mg=0.1(156.0㎎/㎏)
  F=0.9/Cl=116.4/SO4=5.4/HCO3=97.8/CO3=12.0/
  HS=<0.01(232.5㎎/㎏)
  H2SiO3=41.7/HBO2=6.0(47.7㎎/㎏)
  〔2007.10.26〕

 入浴履歴   初訪15.05.02
 評 価   ★★★★
 日奈久温泉
東  湯
                               ひなぐおんせん ひがしゆ
右奥に設えられた石造りの湯口から静かにたっぷりと加えら
れているのは、旧財産区所有の4本の源泉を混合した弱アル
カリ性の単純温泉。
加温によって湯温調整が行われている清澄な無色透明の湯は
少し熱め寄りの適温で、ほとんど無味無臭で残念なことに微
弱な塩素臭が感知されましたが、肌がしっとりしました。


シャワーも備え付けられ、西湯に比して脱衣所・浴室ともゆ
ったりしていることから使い勝手が良いのか、入浴客が途切
れることのない人気振り。
午前の営業が終わる10時ぎりぎりまで、地元に愛されている
生活温泉を存分に楽しませていただきました。
                      〔16.05.04〕
浴室は壁が角タイル、床が砥粉色の丸モザイクタイル張りで、左右両壁
の奥寄り上方に嵌められた磨りガラス窓から陽光が柔らかく射し込み、
採光は良好です。

左壁には8基のシャワーカランが並び、対する右側には手前にシャワー
カラン2基、その奥に人造石で縁取り、槽内を紺色の丸モザイクタイル
で仕上げた奥行き4.35mほどの逆台形の湯船が配されていました。
浴場は脱衣所とその奥に続く浴室
がガラス戸によって仕切られた分
離型の造りで、床にグリーンマッ
トを張った脱衣所には、左壁の手
前に20庫の鍵付きロッカー、その
奥に同数の脱衣箱が並び、茣蓙が
敷かれた中央に“ばんこ”と呼ば
れる木製の腰掛けが備えられてい
ました。

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熊本県の温泉へ



汚れの目立つ柑子色の外壁に年季を
感じさせる浴舎は鉄筋コンクリート
造りの平屋建てで、左端が男湯、清
涼飲用水の自販機を挟んでその右側
が女湯の入口となっていました。

開け放たれた扉を入るとすぐ右手に
番台があり、管理人の女性に入浴料
を直接支払います。
『東湯』は、温泉街の入口となっている国道3号の日奈久上西町交差点から温泉街を南東へ90m余り向かっ
て左に折れ、車1台分の幅の狭い通りを210mほど進んだ左手、温泉街の東寄りに所在する、2003年度まで日
奈久財産区によって所有され、現在は九州綜合サービス㈱が指定管理を行っている公営の公衆浴場です。
日奈久温泉は、九州自動車道の八代I.Cから国道3号で南西へ13.3㎞余り、16本の泉源を有し、登録有形文化
財である金波楼を始めとして明治から昭和初期に建てられた木造3階建ての旅館や海鼠壁の建物が残る古い
街並みに15軒余りの湯宿と4か所の公衆浴場が点在する、不知火海(八代海)に臨むノスタルジックな温泉地
です。
開湯は室町時代の1409(応永16)年。

それに先立つ南北朝時代の1338(延元3)年9月、足利尊氏に従い、南朝
方の菊池氏第13代当主 菊池武重との戦に敗れた甲斐重村の家臣 濱田
右近は、足に刀傷を負って八代の小島へ辿り着き、やがて日奈久へ移
り住んで漁民の娘と結ばれ、六郎左衛門という男児が誕生。
18歳となった六郎左衛門は、父の傷の回復を願い、水垢離を取って安
芸宮島の市杵島姫命へ傷の平癒を17日間祈り続けたところ、満願の夜
に女神が夢枕に現われ、お告げにしたがって干潟の中の奇石の下を掘
り下げると温泉がこんこんと湧出。
父を背負ってその湯に入れると17日間で傷が癒えたことから“孝感泉”
と呼ばれるようになり、10年後の1419(応永26)年に村人によって市杵
島姫命を祀る弁天社が建立されました。

江戸前期には肥後細川藩の藩営温泉となり、1657(明暦3)年に3代綱利
によって藩主用の御前湯、士分用のお次ぎの湯、平民用の平湯という
身分によって仕切られた新しい温泉場「本湯」が設置され、1669(寛
文9)年に綱利自らが入湯したほか、その前を薩摩街道が通り、宿場も
置かれたことから、参勤交代の折には薩摩藩主島津公も利用していた
とのことです。
明治に入ると藩営から離れた本湯の周りに旅館・旅籠・木賃宿が造ら
れ、1896(明治29)年に九州鉄道が八代まで延伸し、1903年に現在の国
道3号が開通すると、宿泊客も増加して温泉街は活況を呈しました。
1930(昭和5)年9月10日には、俳人の種田山頭火が織屋という木賃宿に
宿泊し、『行乞記』の中で「温泉はよい、ほんたうによい、ここは山
もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、‥‥」と称賛し
ています。