住 所   熊本県八代市日奈久中西町380-1
  電 話   0965-38-0573
 営業時間   8:30~20:30 (休=第2・4火)
 入浴料   200円 (貸切湯 1時間1500円)
温泉利用状況   完全放流式 (塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   日奈久温泉旅館協同組合(混合泉)
  泉 質   単純温泉
 湧出量        ℓ/min
 泉 温   43.9  ℃
 pH   8.03
 成分総計   0.9136 g/㎏
    Li=0.2/Na=270.6/K=6.2/Ca=17.7/Mg=0.8(295.5㎎/㎏)
  F=0.7/Cl=328.4/SO4=6.8/HCO3=213.8/NO3=1.5
  (551.2㎎/㎏)
  H2SiO3=58.0/HBO2=4.5(62.5㎎/㎏)
  CO2=4.4(4.4㎎/㎏)   
          
〔1998.06.09〕
 入浴履歴   初訪15.05.02
 評 価   ★★★★★★
 日奈久温泉
松 の 湯
                                ひなぐおんせん まつのゆ
少し熱めとなった奥では弱い玉子臭味と微弱な土類臭、ややぬるめの手
前では微玉子臭が感じられ、肌が少しつるっとしました。


別府八湯の共同湯や人吉温泉のたから湯を想わせる創業当時の造りを留
めた浴場は、風情たっぷり。
湯音のみが響く静謐な中、レトロな雰囲気を存分に満喫させていただき
ました。                       〔16.04.26〕
左壁から延び
る湯口から奥
の小浴槽へ無
色透明の清澄
な湯がドボド
ボと注がれ、
仕切り越しと
底面上の孔か
ら手前側へ流
れ込むように
なっていまし
た。
浴室はタイル張りで、ペン
キ塗りされた羽目板張りの
天井には漁師さんが使う箱
メガネのような形をした湯
気抜きが男女それぞれに設
けられ、中央やや左寄りに
縁を松葉色、槽内を水色の
角モザイクタイルで仕上げ、
1.65×1.5m弱と1.1m弱×
1.5m弱の前後2槽に仕切ら
れた湯船が配されています。
2011年に2月に全面改装され、同年の第17回くまもとアートポリス推
進賞選賞に選ばれたという小さな湯気抜きを載せた建物は、外壁を灰
汁色に仕上げ、木を多用した温かみを感じさせるレトロモダンな木造
一部鉄筋コンクリート造り2階建てで、1階の右端には休憩処も併設さ
れています。
通りに面した駐車スペースの背後右寄りに暖簾の掛かったガラス小窓
の番台があり、入浴料を支払って左手に続く浴場へ向かいます。

左右に並ぶ浴場のうち、男湯は右側。
浴場は縦に連なる脱衣所と浴室との間に仕切りがなく、浴室が脱衣所
より3.5段分ほど低い半地下式一体型の造りで、板張りの脱衣所には
右側にプラスチック籠を納めた9庫の脱衣箱が備えられていました。
『松の湯』は、温泉街の入口となっ
ている国道3号の日奈久上西町交差
点から南東へ140m向かって“ばん
ぺい湯”と呼ばれる温泉センターの
前を右に折れ、140m余り西進する
と四つ角の北西角に所在する、1868
(明治元)年に建てられた佐敷警察署
日奈久分署の建物を1931(昭和6)年
に購入し、浴場を造って営業を始め
たという民営の公衆浴場です。
江戸前期には肥後細川藩の藩営温泉となり、1657(明暦3)年に3代綱利
によって藩主用の御前湯、士分用のお次ぎの湯、平民用の平湯という
身分によって仕切られた新しい温泉場「本湯」が設置され、1669(寛
文9)年に綱利自らが入湯したほか、その前を薩摩街道が通り、宿場も
置かれたことから、参勤交代の折には薩摩藩主島津公も利用していた
とのことです。
明治に入ると藩営から離れた本湯の周りに旅館・旅籠・木賃宿が造ら
れ、1896(明治29)年に九州鉄道が八代まで延伸し、1903年に現在の国
道3号が開通すると、宿泊客も増加して温泉街は活況を呈しました。
1930(昭和5)年9月10日には、俳人の種田山頭火が織屋という木賃宿に
宿泊し、『行乞記』の中で「温泉はよい、ほんたうによい、ここは山
もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、‥‥」と称賛し
ています。
日奈久温泉は、九州自動車道の八代I.Cから国道3号で南西へ13.3㎞余り、16本の泉源を有し、登録有形文化
財である金波楼を始めとして明治から昭和初期に建てられた木造3階建ての旅館や海鼠壁の建物が残る古い
街並みに15軒余りの湯宿と4か所の公衆浴場が点在する、不知火海(八代海)に臨むノスタルジックな温泉地
です。

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この浴場で掛け流されているのは、日奈久温泉協同組合で所有・管理さ
れ、各旅館にも配湯されている共同源泉である弱アルカリ性の単純温泉。
開湯は室町時代の1409(応永16)年。

それに先立つ南北朝時代の1338(延元3)年9月、足利尊氏に従い、南朝
方の菊池氏第13代当主 菊池武重との戦に敗れた甲斐重村の家臣 濱田
右近は、足に刀傷を負って八代の小島へ辿り着き、やがて日奈久へ移
り住んで漁民の娘と結ばれ、六郎左衛門という男児が誕生。
18歳となった六郎左衛門は、父の傷の回復を願い、水垢離を取って安
芸宮島の市杵島姫命へ傷の平癒を17日間祈り続けたところ、満願の夜
に女神が夢枕に現われ、お告げにしたがって干潟の中の奇石の下を掘
り下げると温泉がこんこんと湧出。
父を背負ってその湯に入れると17日間で傷が癒えたことから“孝感泉”
と呼ばれるようになり、10年後の1419(応永26)年に村人によって市杵
島姫命を祀る弁天社が建立されました。