住 所   熊本県八代市日奈久中西町392
  電 話   
 営業時間   2016.03.31 閉鎖
 入浴料   200円
温泉利用状況   完全放流式 (加温あり・塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   八代市日奈久温泉センター 第1~4号温泉源
  泉 質   単純温泉
 湧出量   199 / 228 / 109 / 85  ℓ/min
 泉 温   34.5 / 39.0 / 38.1 / 46.0  ℃
 pH   8.18 / 8.45 / 8.18 / 8.37
 成分総計   0.8481 / 0.6983 / 0.9673 / 0.4362 g/㎏
    Na=242.2/K=2.5/Ca=9.4/Mg=0.4(254.5㎎/㎏)
  F=0.6/Cl=312.1/SO4=24.1/HCO3=195.4/HS=0.3
  (532.5㎎/㎏)
  H2SiO3=30.9/HBO2=8.2(39.1㎎/㎏)
  CO2=22.0(22.0㎎/㎏)         〔2007.10.26〕

  Na=245.5/K=2.5/Ca=8.5/Mg=0.3(256.8㎎/㎏)
  F=0.7/Cl=320.2/SO4=14.0/HCO3=58.7/CO3=9.0/
  HS=0.2(402.8㎎/㎏)
  H2SiO3=33.6/HBO2=5.1(38.7㎎/㎏)  〔2007.10.26〕

  Na=292.9/K=2.7/Ca=11.7/Mg=0.4(307.7㎎/㎏)
  F=0.7/Cl=414.0/SO4=12.8/HCO3=189.3/HS=0.7
  (617.5㎎/㎏)
  H2SiO3=34.5/HBO2=7.6(42.1㎎/㎏)
  〔2007.10.26〕


  Na=152.1/K=1.3/Ca=2.5/Mg=0.1(156.0㎎/㎏)
  F=0.9/Cl=116.4/SO4=5.4/HCO3=97.8/CO3=12.0/
  HS=<0.01(232.5㎎/㎏)
  H2SiO3=41.7/HBO2=6.0(47.7㎎/㎏)
  〔2007.10.26〕

 入浴履歴   初訪15.05.02
 評 価   ★★★★
 日奈久温泉
西  湯
                                 ひなぐおんせん にしゆ

衛生管理のために塩素系
薬剤が使用されているこ
とから、残念ながら微弱
な塩素臭が感知されまし
たが、朝陽が柔らかく射
し込む清々しい浴場で気
持ち良く朝湯を楽しませ
ていただきました。
      〔16.04.24〕
加温されているという清澄な無色透明の湯は、少し熱め寄り
の適温で、ほぼ無味無臭で特徴には乏しいものの、肌がしっ
とりしました。
『西湯』は、国道3号の日奈久上西町交差点から温泉街を南東へ140m向
かって「ばんぺい湯」と呼ばれる温泉センターの前を右へ曲がり、140
mほど先の四つ角を再び右に折れて鉤形に屈折する細い通りを60m余り
北進した左手、温泉街の西寄りに所在する、2003年度まで日奈久財産区
によって所有され、現在は九州綜合サービス㈱が指定管理を行っている
公営の公衆浴場です。

通りを挟んで当温泉では最も古いという鏡屋旅館の西側に建つ浴舎は、
白壁の鉄筋コンクリート造り平屋建てで、入口のある北側へ回るとちょ
うど管理人の女性が表に出ておられたため、直接入浴料を手渡し、清涼
飲用水の自販機を挟んで左右に並ぶ入口のうち、男と書かれた左側の扉
を入ります。
日奈久温泉は、九州自動車道の八代I.Cから国道3号で南西へ13.3㎞余り、16本の泉源を有し、登録有形文化
財である金波楼を始めとして明治から昭和初期に建てられた木造3階建ての旅館や海鼠壁の建物が残る古い
街並みに15軒余りの湯宿と4か所の公衆浴場が点在する、不知火海(八代海)に臨むノスタルジックな温泉地
です。
開湯は室町時代の1409(応永16)年。

それに先立つ南北朝時代の1338(延元3)年9月、足利尊氏に従い、南朝
方の菊池氏第13代当主 菊池武重との戦に敗れた甲斐重村の家臣 濱田
右近は、足に刀傷を負って八代の小島へ辿り着き、やがて日奈久へ移
り住んで漁民の娘と結ばれ、六郎左衛門という男児が誕生。
18歳となった六郎左衛門は、父の傷の回復を願い、水垢離を取って安
芸宮島の市杵島姫命へ傷の平癒を17日間祈り続けたところ、満願の夜
に女神が夢枕に現われ、お告げにしたがって干潟の中の奇石の下を掘
り下げると温泉がこんこんと湧出。
父を背負ってその湯に入れると17日間で傷が癒えたことから“孝感泉”
と呼ばれるようになり、10年後の1419(応永26)年に村人によって市杵
島姫命を祀る弁天社が建立されました。
江戸前期には肥後細川藩の藩営温泉となり、1657(明暦3)年に3代綱利
によって藩主用の御前湯、士分用のお次ぎの湯、平民用の平湯という
身分によって仕切られた新しい温泉場「本湯」が設置され、1669(寛
文9)年に綱利自らが入湯したほか、その前を薩摩街道が通り、宿場も
置かれたことから、参勤交代の折には薩摩藩主島津公も利用していた
とのことです。
明治に入ると藩営から離れた本湯の周りに旅館・旅籠・木賃宿が造ら
れ、1896(明治29)年に九州鉄道が八代まで延伸し、1903年に現在の国
道3号が開通すると、宿泊客も増加して温泉街は活況を呈しました。
1930(昭和5)年9月10日には、俳人の種田山頭火が織屋という木賃宿に
宿泊し、『行乞記』の中で「温泉はよい、ほんたうによい、ここは山
もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、‥‥」と称賛し
ています。

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浴室はタイル張りで、曇りガラス窓が嵌められた左壁に4対のカランが
並び、右側のガラスブロックの仕切り壁に寄せて3.2m弱×2.0m弱の淡
水色タイル張りの湯船が配されています。

右奥のライオンの湯口から勢いよく掛け流されているのは、旧財産区所
有の4本の源泉を混合した弱アルカリ性の単純温泉。
下足場から上がるとすぐ右手が番
台、左が板張りの脱衣所となって
おり、ガラス戸で浴室と画された
脱衣所には、左手前にかなりの数
の鍵が失われている木製ロッカー
25庫、左壁の前とガラス戸の前の
右寄りに白く塗られた腰掛けが置
かれ、その上に4個のプラスチッ
ク籠が備えられていました。