住 所   熊本県八代市日奈久上西町394
  電 話   0965-38-3016
 営業時間   立寄り 10:00~20:30 (休=火)
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   幸ヶ丘温泉
  泉 質   単純温泉
 湧出量   68   ℓ/min
 泉 温   43.9  ℃
 pH   8.1
 成分総計   0.72  g/㎏
    Li=0.3/Sr=0.7/Na=195.8/K=2.2/Ca=10.2/Mg=0.4/
  NH4=0.2/Ba=0.1(210.0㎎/㎏)
  F=1.0/Br=0.7/Cl=208.6/SO4=9.3/HCO3=243.8/HS=0.2
  (463.5㎎/㎏)
  H2SiO3=40.6/HBO2=3.8(44.5㎎/㎏)
   
〔2006.12.26〕
 入浴履歴   初訪15.05.02
 評 価   ★★★★★★★
 日奈久温泉
旅 館 幸 ヶ 丘
                         ひなぐおんせん りょかん さちがおか
25~30分程度で入れ替わるという
飲泉も可能な無色透明の湯は少し
熱めで、玉子臭味がはっきり感じ
られ、極微細な泡付きによって肌
がつるつるしました。
脱衣所から小一段低くなった浴室
は大理石調のタイル張りで、左壁
に3、右壁の手前側に1基のシャワ
ー付きカランが設置され、右奥に
寄せて2槽の浴槽を鉤形に配した
奥行き・幅とも2.4㎞強のタイル
張り湯船が設けられています。

湯船は左右で深さが異なり、正面
のガラス窓に臨んだ左側は、半身
浴を楽しめるように浅めに造られ
ていました。
休憩処から右奥の暖簾掛けの入口を
入ると、入室した途端、茹で玉子の
ような芳ばしい香りが鼻孔をくすぐ
り、いやが上にも期待が高まります。

浴場は脱衣所とその右手に続く浴室
との間に仕切りのない一体型で、脱
衣所は3段の棚に12個のプラスチッ
ク籠が備えられているだけの簡素な
造りとなっています。
『旅館 幸ヶ丘』は、温泉街の入口となっている国道3号の日奈久上西町交差点から南東へ約200m、「ばん
ぺい湯」と呼ばれる温泉センターの右横を抜け、温泉神社の鳥居を潜るとすぐ右手に所在する、先代によっ
て1958年4月に創業され、現在は日帰り入浴のみの営業となっている温泉旅館です。
江戸前期には肥後細川藩の藩営温泉となり、1657(明暦3)年に3代綱利
によって藩主用の御前湯、士分用のお次ぎの湯、平民用の平湯という
身分によって仕切られた新しい温泉場「本湯」が設置され、1669(寛
文9)年に綱利自らが入湯したほか、その前を薩摩街道が通り、宿場も
置かれたことから、参勤交代の折には薩摩藩主島津公も利用していた
とのことです。
明治に入ると藩営から離れた本湯の周りに旅館・旅籠・木賃宿が造ら
れ、1896(明治29)年に九州鉄道が八代まで延伸し、1903年に現在の国
道3号が開通すると、宿泊客も増加して温泉街は活況を呈しました。
1930(昭和5)年9月10日には、俳人の種田山頭火が織屋という木賃宿に
宿泊し、『行乞記』の中で「温泉はよい、ほんたうによい、ここは山
もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、‥‥」と称賛し
ています。
日奈久温泉は、九州自動車道の八代I.Cから国道3号で南西へ13.3㎞余り、16本の泉源を有し、登録有形文化
財である金波楼を始めとして明治から昭和初期に建てられた木造3階建ての旅館や海鼠壁の建物が残る古い
街並みに15軒余りの湯宿と4か所の公衆浴場が点在する、不知火海(八代海)に臨むノスタルジックな温泉地
です。

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大半の旅館が集中管理された共同源泉を使用している中、3軒の宿だけが所有しているという自家源泉は鮮
度が抜群で、日奈久を離れる最後に当温泉の個性と実力を実感できる良泉にめぐり会うことができ、とても
好感しました。                                    〔16.05.07〕
右側手前の童に
抱えられた鯉の
口からドバドバ
と注がれ、湯船
の縁からの溢れ
出しとともに浅
い側の側面上方
に開けられた孔
から庭に排湯さ
れ、パイプを使
って井戸のよう
な穴へ導かれて
いるのは、自家
源泉の弱アルカ
リ性の単純温泉。
ご主人のご指示に従って階段を上
がり、板張りの廊下を左へ進むと
右側手前に男湯、その奥に女湯が
あり、「少し熱めだけれど浸かっ
ているうちにすぐ慣れる」「飲泉
もできる」というご説明を伺い、
浴場へ向かいます。
山を背後に佇む和風の建物は、落ち
着きのある木造2階建て。

重いガラス戸から館内へ入ると、歴
史を感じさせるゆったりした玄関ホ
ールの正面に2階へ上がる8段の階段
があり、右側のインターホンを押し、
階段の上に現われたご主人に入浴を
お願いします。
開湯は室町時代の1409(応永16)年。

それに先立つ南北朝時代の1338(延元3)年9月、足利尊氏に従い、南朝
方の菊池氏第13代当主 菊池武重との戦に敗れた甲斐重村の家臣 濱田
右近は、足に刀傷を負って八代の小島へ辿り着き、やがて日奈久へ移
り住んで漁民の娘と結ばれ、六郎左衛門という男児が誕生。
18歳となった六郎左衛門は、父の傷の回復を願い、水垢離を取って安
芸宮島の市杵島姫命へ傷の平癒を17日間祈り続けたところ、満願の夜
に女神が夢枕に現われ、お告げにしたがって干潟の中の奇石の下を掘
り下げると温泉がこんこんと湧出。
父を背負ってその湯に入れると17日間で傷が癒えたことから“孝感泉”
と呼ばれるようになり、10年後の1419(応永26)年に村人によって市杵
島姫命を祀る弁天社が建立されました。