住 所   群馬県渋川市伊香保町伊香保12
  電 話   0279-72-2050
 営業時間   立寄り 11:00~17:00
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式 (随時 加温あり)
   
 源 泉 名   総合湯(混合泉)
  泉 質   カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・
  塩化物泉
 湧出量   4627   ℓ/min
 泉 温   41.2  ℃
 pH   6.4
 成分総計   1.36 g/㎏
    Na=101.0/K=8.7/Ca=139.0/Mg=32.2/Al=<0.05/
  Fe2=7.23/Mn=1.39(290㎎/㎏)
  F=<0.1/Cl=146.0/SO4=284.0/HCO3=275.0/CO3=<0.1
  (705㎎/㎏)
  H2SiO3=181.0/HBO2=8.3(189㎎/㎏)
  CO2=172.0(172㎎/㎏)
            
〔2017.05.30〕
 入浴履歴   初訪14.03.21
 評 価   ★★★★★★★
 伊香保温泉
柏 屋 旅 館
                          いかほおんせん かしわやりょかん
伊香保温泉は、関越自動車道の渋川伊香保I.Cから国道17号と県道渋川東吾妻線(35号)・渋川松井田線(33号)
を経由して西北西方向へ約11㎞、標高およそ700mの榛名山の中腹に立地し、草津温泉・四万温泉と並んで
“上州三名湯”と称されてきた群馬県を代表する名湯です。


地名としては現存する最古の和歌集である『万葉集』の東歌の中に散見され、開湯を巡っては、第11代の垂
仁天皇の御代、あるいは、天平年間(729~749)の行基による発見との諸説が伝えられていますが、室町(南
北朝)時代の1358(延文3=正平13)年前後に編纂されたという『神道集』の第7巻「上野第三宮伊香保大明神
事」には、701(大宝元)年、水澤寺の別当であった恵美僧正が夢のお告げによって石楼山の北麓で源泉を発
見したことが記載されており、少なくともこの時代には温泉の存在が知られていたようです。

当初は伊香保神社から450mほど上った湯元付近で土着の千明氏が支配する小さな温泉場でしたが、1576(天
正4)年、前年の長篠の戦いで負傷した将兵の療養に供するため、当地を治めていた真田昌幸を介して武田勝
頼から命を受けた小暮・千明・岸・大島・島田・望月・後閑の7氏の郷士が、神社の下の傾斜地を階段状に
造成して短冊状に区画・整備した石段街を造り、泉源から引いた源泉を石段中央に通した大堰という木製導
管から左右に配した湯屋に分湯するという、わが国初の都市計画に基づく温泉街を完成させました。
湯船に満たされているのは、透明度50㎝ほどの灰黄色の濁り
湯。
少しぬるめ寄りの適温湯からは、弱い金気臭味と微弱な土類
臭が感じられ、肌がきしきししました。


ちょうど良い湯加減で掛け流されている黄金の湯を存分に満
喫して宿を辞去しようとしたところ、女将さんからお茶と温
泉饅頭のおもてなし。
お茶をいただきながらのおしゃべりも楽しく、伊香保来訪の
折にはぜひとも再訪したい心温まる湯宿でした。
                      〔15.01.04〕
年季の入った浴室は、壁・床とも小さな角タイルで仕上げられた小ぢん
まりした造り。

左壁に水カラン1基、ガラス窓のある正面に幅1.85mほどの曲線的なタ
イル張り湯船が右側に寄せて配され、右奥隅に立て掛けられた瓢箪の下
から、“本泉”とも呼ばれている黄金の湯がドボドボと加えられていま
す。
浴場は、2階へ上がる階段の上り口から左へ延びる幅の狭い廊下を奥へ進むと、
鋭角に閉じる突き当たりの左手にひとつだけあり、これを貸切利用するように
なっています。
磨りガラス戸を入ると、手前にある脱衣所は
平面台形の狭隘な造りで、右壁の手前に洗面
台があり、浴室入口の手前両側にカラーボッ
クスのような幅の狭い3段棚が備えられてい
ました。
『柏屋旅館』は、石段を263段上る
と踊り場の左手に所在する、明治時
代に創業し、現館主が4代目という
小さな老舗旅館です。

1920(大正9)年8月の大火で温泉街が
焦土と化した後に建てられ、戦後増
改築されたという石段街に面した斜
面に立地する建物は木造3階建てで、
2・3階に設けられている客室は全5
室を数えます。
明治時代以降には、夏目漱石・徳富蘆花・田山花袋・島崎藤村・
与謝野晶子・竹久夢二・若山牧水・萩原朔太郎・芥川龍之介など
多くの文人に愛されるようになり、中でも徳富蘆花は、生涯で10
回夫妻で訪れ、1899(明治32)年に発表された代表作『不如帰』を
当地で執筆したほか、身体を患った晩年にも養生のために身を寄
せ、この地で生涯を閉じました。
また、与謝野晶子は1915(大正4)年に「伊香保の詩」を発表し、
その詩は石段に刻まれています。

現在は、石段街とその北東にかけて50軒足らずの宿泊施設と外湯
2か所、飲食店や土産店・観光娯楽施設が集まる温泉街が形成さ
れ、石段の下を流下し、小間口権者組合によって集中管理されて
いる“黄金の湯”のほか、湯量不足解消のために1996年に新たに
掘削された“白銀の湯”の2種類の源泉を楽しむことができます。
独特のこの分湯方法は、大堰から引湯する湯口の名称から「小間
口制度」と呼称され、温泉を利用する権利である小間口権は代々
“大家”と呼ばれる土豪たちに引き継がれていきましたが、1639
(寛永16)年に安中領主の井伊兵部少輔が「樋口并切こ満寸法」とい
う規定を定めた頃には、大家の数は14軒となっていました。
うち12軒の大家には干支が家紋のように付与され、現在、その大
家が所在した場所の石段に各々の干支が印されています。
なお、御影石の石段は、1980年から5年をかけて行われた天正以
来の大改修で新設された分を加えて365段を数えますが、これに
は温泉街が1年365日賑わうようにとの願いが込められています。

江戸時代に入ると、三国街道の裏往還である伊香保街道の開削を
機に湯治客以外の利用も増加し、特に後期には榛名神社を信仰す
る榛名講の広がりにより、全国からの参拝者が立ち寄るようにな
りました。

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滑りの悪いガラス戸の玄関を入り、応対に出てこられたお年を召した
女将さんに立寄り入浴をお願いすると、「外は寒いでしょう。どうぞ
どうぞ。」と快く招き入れて下さいました。

入浴料は伊香保の立寄り湯ではお値打ちの500円でしたが、タオルが
付いているだけでなく、何とバスタオルまで貸していただけました。