伊香保温泉は、関越自動車道の渋川伊香保I.Cから国道17号と県道渋川東吾妻線(35号)・渋川松井田線(33号)
を経由して西北西方向へ約11㎞、標高およそ700mの榛名山の中腹に立地し、草津温泉・四万温泉と並んで
“上州三名湯”と称されてきた群馬県を代表する名湯です。


地名としては現存する最古の和歌集である『万葉集』の東歌の中に散見され、開湯を巡っては、第11代の垂
仁天皇の御代、あるいは、天平年間(729~749)の行基による発見との諸説が伝えられていますが、室町(南
北朝)時代の1358(延文3=正平13)年前後に編纂されたという『神道集』の第7巻「上野第三宮伊香保大明神
事」には、701(大宝元)年、水澤寺の別当であった恵美僧正が夢のお告げによって石楼山の北麓で源泉を発
見したことが記載されており、少なくともこの時代には温泉の存在が知られていたようです。

当初は伊香保神社から450mほど上った湯元付近で土着の千明氏が支配する小さな温泉場でしたが、1576(天
正4)年、前年の長篠の戦いで負傷した将兵の療養に供するため、当地を治めていた真田昌幸を介して武田勝
頼から命を受けた小暮・千明・岸・大島・島田・望月・後閑の7氏の郷士が、神社の下の傾斜地を階段状に
造成して短冊状に区画・整備した石段街を造り、泉源から引いた源泉を石段中央に通した大堰という木製導
管から左右に配した湯屋に分湯するという、わが国初の都市計画に基づく温泉街を完成させました。
  住 所   群馬県渋川市伊香保町伊香保甲48
  電 話   0279-72-3105
 営業時間   
 入浴料   
温泉利用状況   完全放流式 (加温あり)
   
 源 泉 名   総合湯(混合泉)
  泉 質   カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・
  塩化物泉
 湧出量   4627   ℓ/min
 泉 温   41.2  ℃
 pH   6.4
 成分総計   1.36 g/㎏
    Na=101.0/K=8.7/Ca=139.0/Mg=32.2/Al=<0.05/
  Fe2=7.23/Mn=1.39(290㎎/㎏)
  F=<0.1/Cl=146.0/SO4=284.0/HCO3=275.0/CO3=<0.1
  (705㎎/㎏)
  H2SiO3=181.0/HBO2=8.3(189㎎/㎏)
  CO2=172.0(172㎎/㎏)
            
〔2017.05.30〕
 入浴履歴   初訪15.09.18 泊
 評 価   ★★★★★★
 伊香保温泉
浴蘭楼 岸権旅館
                  いかほおんせん よくらんろう きしごんりょかん
明治時代以降には、夏目漱石・徳富蘆花・田山花袋・島崎藤村・
与謝野晶子・竹久夢二・若山牧水・萩原朔太郎・芥川龍之介など
多くの文人に愛されるようになり、中でも徳富蘆花は、生涯で10
回夫妻で訪れ、1899(明治32)年に発表された代表作『不如帰』を
当地で執筆したほか、身体を患った晩年にも養生のために身を寄
せ、この地で生涯を閉じました。
また、与謝野晶子は1915(大正4)年に「伊香保の詩」を発表し、
その詩は石段に刻まれています。

現在は、石段街とその北東にかけて50軒足らずの宿泊施設と外湯
2か所、飲食店や土産店・観光娯楽施設が集まる温泉街が形成さ
れ、石段の下を流下し、小間口権者組合によって集中管理されて
いる“黄金の湯”のほか、湯量不足解消のために1996年に新たに
掘削された“白銀の湯”の2種類の源泉を楽しむことができます。
独特のこの分湯方法は、大堰から引湯する湯口の名称から「小間
口制度」と呼称され、温泉を利用する権利である小間口権は代々
“大家”と呼ばれる土豪たちに引き継がれていきましたが、1639
(寛永16)年に安中領主の井伊兵部少輔が「樋口并切こ満寸法」とい
う規定を定めた頃には、大家の数は14軒となっていました。
うち12軒の大家には干支が家紋のように付与され、現在、その大
家が所在した場所の石段に各々の干支が印されています。
なお、御影石の石段は、1980年から5年をかけて行われた天正以
来の大改修で新設された分を加えて365段を数えますが、これに
は温泉街が1年365日賑わうようにとの願いが込められています。

江戸時代に入ると、三国街道の裏往還である伊香保街道の開削を
機に湯治客以外の利用も増加し、特に後期には榛名神社を信仰す
る榛名講の広がりにより、全国からの参拝者が立ち寄るようにな
りました。

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群馬県の温泉へ



源泉名では“総合湯”と呼ばれる黄金の湯の湧出量の約1割が引湯さ
れているという湯量たっぷりの掛け流し温泉はもちろんのこと、しっ
とりした和の雰囲気に溢れた客室、2階の食事処“榛名”でいただい
た夕朝食、そして従業員の接遇のいずれも申し分なく、さらにすぐ目
の前が石段街という好立地から、夕食後には偶然にも開催されていた
伊香保まつりの神輿の石段上りをじっくり見学でき、思い出に残る旅
となりました。                   〔16.08.07〕
やはり熱交換
で加温されて
いる黄金の湯
は適温で、湯
口でははっき
りと金気臭が
香り、湯船を
満たした透明
度35㎝強の緑
褐色の濁り湯
からも弱金気
臭と微弱な鉄
錆味が感じら
れました。
右側手前に緑
白色の濁り湯
を湛えた径約
90㎝の桶を利
用した掛け湯
槽、その奥に
3.1m強×1.7
mほどの湯船
が設えられ、
奥の浴場には
入浴用の桶風
呂がもう一つ
置かれていま
した。
いずれの浴場も脱衣所は幅狭のいさ
さか窮屈な造りで、右壁に各段に角
籠を4個ずつ納めた3段棚が設えられ、
奥には洗面台が付設されています。

この湯宿の一押しとも評される浴場
は、1881(明治14)年に描かれた錦絵
を忠実に再現したという前面のみが
開放された総檜造りの半露天風呂。
最後に足を運んだのは、離れ露天
の権佐衛門の湯です。

ロビー左端の扉を出てピロティを
右へ抜けると道路の向かい側にあ
り、深夜23時から翌朝6時は利用
できません。
木造の浴舎には左端に休憩処、正
面に2室の貸切風呂、その右に男
女交替制の2つの浴場があり、到
着した日は手前側、翌朝は奥の浴
場が男湯となっていました。
内湯には石板で縁取った6.9m弱×
1.8m、左の露天には板材を這わし
た3.2×1.55mほどのタイル張り湯
船が配され、前者には寝湯が楽しめ
るように6人分の木枕が備えられて
いました。

各湯船には49℃に加温された黄金の
湯が注がれ、湯口からは微金気臭、
湯船に湛えられた透明度35㎝ほどの
緑褐色の濁り湯からは芒硝っぽい湯
の香が感じられました。
内湯のほかに
屋根付きの半
露天風呂も併
設された浴場
はいずれも石
板張りで、展
望大浴場とい
う名の通り、
正面には小野
子三山や子持
山を遠望する
ことができま
す。
続いて、女湯の前から奥へ延びる廊
下を進み、突き当たり右手のエレベ
ーターで浴室専用棟3階の六佐衛門
の湯へ向かいます。

縦長で板張りの脱衣所には、右壁に
計26個の角籠を納めた3段棚とその
手前に貴重品ロッカー6庫が並び、
奥にボウル2基のパウダーコーナー
が設けられていました。
鬼瓦を利用して奥壁の中央に設え
られた湯口からは、泉源から1000
m引湯され、蒸気吹き掛けの熱交
換で51℃に加温された黄金の湯が
ザバザバと掛け流され、湯口では
しっかりした金気臭と少苦味、湯
船を満たした透明度35㎝ほどの明
茶褐色の濁り湯からも弱い金気臭
が感知されました。
浴室は石板張り
で、右側手前に
シャワーカラン
9基が鉤形に並
び、ガラス扉の
すぐ左手にサウ
ナ、奥には象形
文字の山の字を
逆さまにしたよ
うな幅8.5mほ
どのタイル張り
湯船、その左に
岩を積んで仕切
った水風呂が配
されています。
まずは、本館の1階にある又佐衛門
の湯へ。

右が男湯、左が女湯に分かれ、紺色
の暖簾を潜って開け放たれた右手の
扉を抜けると、板張りの脱衣所には、
左側手前に洗面ボウル2基のパウダ
ーコーナーがあり、その奥の左右の
壁にはプラスチック籠を納めた各24
庫の脱衣箱、正面奥のガラス窓の下
には腰掛けが備えられていました。
この宿には、大浴場の“又佐衛門
の湯”、石段街に面して建てられ
た浴室専用棟の3階に男湯、4階に
女湯がある展望大浴場の“六佐衛
門の湯”、道路を挟んで本館の裏
手に独立して設けられた離れ露天
風呂の“権佐衛門の湯”という3
つの浴場のほか、浴室専用棟の5
階には“浮雲”“不如帰”、離れ
露天には“金湯”“香湯”という
有料予約制の貸切展望風呂・露天
風呂も設けられています。
利用させていただいたのは、ロビー
階からフロントの左背後のエレベー
ターで3階に上がって右へ進み、途
中で左に折れて歩を進めると突き当
たりの左手前に位置する302号室。

板間の踏込みの奥に新しい畳が敷か
れた10畳間が続く趣のある部屋で、
眺望が楽しめるようにガラス窓の前
には2脚の椅子が置かれていました
(1泊2食税込 13000円)。
門を入ると正面から左手に建つ堂
々とした建物は、1967年と1976年
に建築され、1990年に改築された
鉄筋コンクリート造りの8階建て
で、客室は和66・和洋2・洋2の全
70室を数えます。
紅白の幕と提灯を見上げながら玄
関を入ると、当地でロケが行われ
た映画『テルマエ・ロマエ』の主
演俳優のサインが飾られたロビー
の正面左寄りにフロントがあり、
チェックインをお願いします。
『浴蘭楼 岸権旅館』は、石段を244段上ると右手に所在する、石段街
が完成した1576(天正4)年の創業と伝えられ、造営を手掛けた9郷士の
一人、岸筑前守安兼の次男で分家した岸又兵衛を祖とし、江戸時代後
期の寛政年間(1789~1801)以降、代々の館主が岸権左衛門(明治以降
は権三郎)を襲名したことから“きしごん”と呼ばれて愛されてきた、
千明三右衛門氏を館主とする千明仁泉亭 、木暮武太夫氏館主のホテ
ル木暮と並ぶ当温泉屈指の老舗旅館で、9月の連休に上州を訪れた際、
初日の宿として宿泊利用しました。

宿の前の石段街の踊り場には大家であった証である辰のプレートが埋
め込まれ、さらに門の左手には「岸権 辰の湯」と名付けられた足湯
も設置されており、観光客も自由に楽しむことができます。