住 所   群馬県吾妻郡長野原町川原湯
  電 話   
 営業時間   2013.06.30 閉鎖
 入浴料   100円
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   川原湯温泉新湯
  泉 質   含硫黄-カルシウム・ナトリウム-塩化物・硫酸
  塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   79.3  ℃
 pH   
 成分総計   2.15   g/㎏
    Na=352/K=6.93/Ca=341/Mg=0.56/Al=<0.05/
  Fe2=0.05/Mn=0.05(701㎎/㎏)
  F=0.7/Br=2.7/Cl=680/SO4=579/HCO3=49.1/
  HS=2.6(1314㎎/㎏)
  H2Si03=87.9/HBO2=39.1(127㎎/㎏)
  CO2=6.6/H2S=1.9(8.5㎎/㎏)        〔2011.06.06〕
 入浴履歴   初訪09.09.19,最終11.08.06(2回目)
 評 価   ★★★★
 川原湯温泉
聖天様露天風呂
                   かわらゆおんせん しょうてんさまろてんぶろ
川原湯温泉は、2009年9月に誕生した民主党政権のマニフェストに建設中止が掲げられ、全国的に注目を集
めた八ッ場ダムのダム湖に水没する温泉街として著名となった、群馬県西部の長野原町に所在する小ぢんま
りとした温泉地です。
利用されているのは、共
同浴場の笹湯と同じ川原
湯の新源泉。
脱衣所の壁に注意書きが
貼られていたにもかかわ
らず、源泉に直に触れて
しまい、危うく右手に火
傷を負うところでした。

消しゴムの滓のような白
い湯の華が浮かぶ適温の
湯は、うっすらと白く濁
り、弱い油臭に焦げ硫黄
臭が加わった独特の湯の
香と少たまご味・薄塩味
が感じられました。
木々に囲まれているため眺望こそ利きませんが、湯船の縁に腰掛けて休
んでいると、通り抜ける風が火照った身体にとても涼やかで、予想以上
に気持ちの良い浴場でした。


川原湯の外湯の中では唯一7時から入浴できることもあって、早朝から
結構な賑わい。
八ッ場ダムの完成によって閉鎖されてしまう運命にあるとのことですが、
盛夏の頃は木々の緑が色鮮やかで、利用者が少なければ幽玄な雰囲気に
も浸ることができる、一浴をお勧めしたい共同浴場です。 〔11.08.10〕
湯船の方は、3.1×2m強ほどの長方形を呈した石造り。
左奥の湯船の横には小さな枡が設けられ、ここにパイプ湯口から注がれ
る源泉とホースで引かれた水が湛えられ、そこから湯船へ掛け流される
ようになっていました。
1193(建久4)年、浅間山麓での狩りの途中に通りかかった源頼朝が、
山の中腹に立ち上る湯煙を見つけたことから発見されたと伝えられる
歴史のある温泉で、それとは別に、800年前に諸国霊場霊地を巡って
いた川原朝臣権頭光林という僧侶が、夢枕に現われた薬師如来のお告
げによって発見し、その僧侶の姓から“川原湯”と呼ばれるようにな
ったという逸話も残されています。

国道145号から吾妻川右岸の断崖に沿うように走る県道川原湯川原湯
停車場線(238号)を上っていくと、細い県道の両側に9軒の宿と3か所
の共同浴場、食事処や商店などがひっそりと建ち並んでいます。
なお、ダム建設に伴う温泉街の移転に備えて、坂道を上り詰めたとこ
ろには新源泉が掘削され、温泉玉子を作ることができるようになって
います。
舗装された坂道から移行した階段
を35段上ると、正面に切妻屋根の
小さな木造小屋が出現。

右後方を振り返ると、子孫繁栄・
精力増強の信仰の対象で、夫婦和
合の神様である歓喜天(聖天様)を
祀る聖天神社の鳥居があり、その
先に数本の男根を無造作に置いた
小さな祠が安置されていました。
どうやらこの神社が浴場名の由来
となっているようです。

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木造小屋の左壁には下足箱、左手前の柱には料金箱が設置されています。
浴場の管理料として納める入浴料は、何と100円。
にもかかわらず、残念なことに無賃入浴者がいるのか、料金箱に料金を
投入すると、チーンという音が鳴るようになっていました。

石段を5段上がると、すぐ正面が屋根掛けされた露天風呂。
小屋の中は脱衣スペースとなっており、奥には4つに仕切られた2段の棚
が設えられています。
ただし、湯船との間には何ら目隠しはなく、男性入浴客がいる場合、女
性にとってはかなりハードルの高い造りと言えるでしょう。
『聖天様露天風呂』は、温泉街の入
口から県道を400mほど上った左手、
山水という旅館の横にある坂を上っ
た丘の上にある混浴の共同露天風呂
です。

ダム建設中止で大騒ぎの真っ最中に
初めて訪れた時は、山水の向かいに
も高山旅館という廃業された宿の建
物が存在していましたが、2年ほど
経って再訪してみると、すでに建物
は跡形なく消えていました。