住 所   群馬県吾妻郡草津町433
  電 話   0279-88-3251
 営業時間   立寄り 14:00~20:00
 入浴料   1000円
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   万代鉱 / 西の河原源泉(町有)
  泉 質   酸性-塩化物・硫酸塩泉 / 酸性・含硫黄-アルミ
  ニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   96.5 / 51.0  ℃
 pH   1.6 / 2.0
 成分総計   3.32 / 2.09 g/㎏
    H=26.0/Na=101/K=57.9/Ca=102/Mg=57.0/Al=47.1/
  Fe2=6.31/Mn=2.89(400㎎/㎏)
  F=23.2/Br=2.9/Cl=742/SO4=836/HSO4=732
  (2336㎎/㎏)
  H2SO4=48.1/H2SiO3=501/HBO2=18.7(568㎎/㎏)

                            〔2013.05.15〕

  H=10.0/Na=75.8/K=37.1/Ca=95.3/Mg=48.4/Al=61.8/
  Fe2=15.3/Mn=2.41(346㎎/㎏)
  F=13.9/Br=1.9/Cl=434/SO4=734/HSO4=247
  (1431㎎/㎏)
  H2Si03=248/HBO2=11.1/H2SO4=6.2(265㎎/㎏)
  CO2=44.0/H2S=0.6(44.6㎎/㎏)
       〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪11.05.05 泊
 評 価   ★★★★
 草津温泉
望  雲
                                くさつおんせん ぼううん
また、左手のガラ
ス戸の外には片屋
根掛けの半露天が
あり、そこにも同
大の湯船が設けら
れていました。

利用されている源
泉は、内湯の右手
と露天が西の河原
源泉、内湯左が万
代鉱となっていま
した。
朝の冷気で湯気
濛々状態となっ
た浴室は御影石
の石板張りで、
手前側の左右に
シャワーカラン
が背中合わせに
6基ずつ配され、
その奥に板材で
縁取った3.3×
2.0mほどの石
板造りの湯船が
左右に並んでい
ます。
両湯船に掛け流
しで供されてい
るのは、6軒の
湯宿のみ引湯さ
れているという
西の河原源泉。

無色透明の湯か
らは弱い焦げ臭
と強いレモン酸
味が感じられ、
ぬるっとする肌
触りがありまし
た。
一方の西(さい)の湯。
明るく小綺麗な脱衣所には、4段の
棚に28個の籠が備えられています。

こちらの浴舎も太い角材を梁に用い
た木造の落ち着いた造りで、右側に
はシャワーカラン5基と水カラン1基
が並び、向かい側には板材で縁取っ
た鉤形の石板張り湯船、また、奥の
ガラス戸から戸外に出て階段を下り
ると、“茶釜の湯”という楕円形の
露天岩風呂が設けられていました。
両湯船に満たさ
れた透明湯は、
草津の主要源泉
の中で最も酸性
度が高いとされ
る万代鉱。

ほぼ無臭ながら
強いレモン酸味
があり、ぬるぬ
るする肌触りと
ともに肌の表面
がピリピリする
ような刺激を感
じました。
太い梁が架け渡された木
造の浴舎は石板張りで、
右手前から右側にかけて
8基のシャワーカランが
並び、正面のガラス窓の
下には、石板で縁取った
緑色豆タイル張りの湯船
が配されています。
2階に上がってフロント側に戻っ
たところに暖簾掛けの入口が左右
に並んでおり、右側の万代の湯は
そこから階段を20段上がった別棟
内、西の湯はそのまま階段を8段
上がった先に設けられています。

まずは、万代(ばんだい)の湯。
脱衣所は奥行きの長いゆったりし
た造りで、奥の壁には3段の棚に
48個の籠がずらっと備えられてい
ました。
近代的な外観の新館に対し、本館は純和風のしっとり落ち着いた雰囲気。
新館増築に合わせて全面改装されたという館内は、本来の色調を生かした木
材が多用され、建具や照明、具足・生け花など随所に散りばめられた上品な
設えが目を楽しませてくれます。
客室は本館が19、新館が和・洋室合わせ
て26の計45室を擁し、今回はフロントか
ら右手に進むと吹抜けとなった廊下右奥
の本館1階115号室を利用させていただき
ました。

浴場は万代の湯・西の湯と遊山の湯とい
う各々露天風呂が付設された3か所の大
浴場があり、明け方3時半から1時間の清
掃時間を挟んで男女入替えとなっていま
す。
客室で一服した後、ひと汗流したのが万
代の湯と西の湯。
多くの文人に愛された湯宿として知られ、1808(文化5)年7月にこの地に立寄った小林一茶は、雲嶺庵鷺白と
号した俳人で、親交のあった7代館主の黒岩忠右衛門を訪ね、“湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貌”とい
う句を残しています。
さらに、1819・20(文政2・3)年に2度にわたって草津を訪れた十返舎一九とも交流があり、『上州草津温泉
道中続膝栗毛 十編』に「黒岩忠右衛門」という宿名で登場しています。

また、詩人・彫刻家の高村光太郎は、昭和に入って間もない1927年7月と1933年5月の2度にわたって妻の智
恵子を伴って草津を訪れ、この宿に逗留しました。
『望雲』は、湯畑から西の河原通り
を130mほど進み、温泉饅頭の人気
店「松むら饅頭」の向かいから“望
雲坂”という歩行者専用の坂道を上
り切ると左手に所在している、関ヶ
原の戦いの前年である1599(慶長4)
年の創業という老舗旅館です。

GWを利用して軽井沢を訪れること
となった前日、家族4名で宿泊利用
しました(1泊2食税別 13000円)。
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。

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2種類の源泉をゆったり堪能できる趣違いの浴場に加え、料理の方も適量でとても美味しく、期待以上に満足
度の高い宿泊となりました。                              〔12.07.30〕
心地良い眠りから覚め、朝食前の
朝湯に利用したのが、本館の2階
を右奥に進んで階段を16段上がっ
た別棟にある遊山(ゆさん)の湯。

木造りの脱衣所には、左手前に12
庫の鍵付きロッカーとその下に籠
入りの脱衣箱4庫、さらにその横
にも14庫の籠入り脱衣箱が備えら
れています。
また、左奥のガラス扉から屋外に出ると、庭園風の設えの中
に“しゃくなげ露天風呂”と呼ばれる屋根掛けされた3.3×
2.2mほどのコンクリート湯船が設けられていました。
しゃくなげ通りを光泉寺へ向かっ
て上っていく途中、共同浴場の翁
の湯の向かい側を下った先がゆっ
たりとした専用駐車場。

背後にガラス張りとなった鉄筋4
階建ての建物が見えますが、これ
は2005年に新築された新館“雲松
庵”で、その奥に1964年に建てら
れたという木造2階建ての本館が
続いています。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。