住 所   群馬県吾妻郡草津町草津566-5 (西殿塚区)
  電 話   
 営業時間   9:00~22:00
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   湯畑
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.3  ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.69 g/㎏
    H=8.91/Na=56.0/K=27.5/Ca=73.5/Mg=36.3/Al=43.8/
  Fe2=17.5/Mn=1.88(265㎎/㎏)
  F=9.9/Br=1.3/Cl=311/SO4=640/HSO4=192
  (1154㎎/㎏)
  H2Si03=216/HBO2=8.2/H2SO4=4.3(229㎎/㎏)
  CO2=36.7/H2S=7.1(43.8㎎/㎏)
     
 〔2013.05.15〕

 入浴履歴   初訪08.09.27
 評 価   ★★★★
 草津温泉
長 寿 の 湯
                            くさつおんせん ちょうじゅのゆ
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
以前は湯船周りに簀子が敷かれていたようですが、改築後の
浴室は耐酸コーティングされたコンクリート打ちっ放しのま
まで、温泉街中心の浴場と比べると結構広々としています。
右奥には2辺の縁に板材を這わした3.0×1.2mほどの長方形
のコンクリート湯船が配され、赤いコック付きの湯口から湯
畑源泉がドバドバと掛け流されていました。

同浴させていただいた地元の方からは「草津の湯はタバコと
同じで、一度身体が覚えてしまうと浸からずにはいられなく
なる」といった面白いお話を伺うことができ、楽しいひと時
を過ごすことができました。
以前は24時間入浴可能となっていましたが、改築後は残念な
がら防犯対策のために利用時間が大幅に制限されてしまいま
した。
『長寿の湯』は、大阪屋の先で滝下通りを離れて左へ折れ、勢州館と
いう旅館の手前で右に分かれる細い坂道を上ってそのまま70mほど進
んだ左手、温泉街の賑わいとはまったく無縁の静かな住宅地の中に所
在する1959年に創設された共同浴場です。
途中、坂の下で地図を眺めていると地元のお婆さんに声を掛けられ、
ご親切なことに浴場前まで案内していただきました。

横格子の湯気抜きを載せた切妻屋根の浴舎は、2006年12月に改築され
たばかりとあってまだまだ新しく、外壁や入口の格子戸は竣工時の鮮
やかな木の色を留めていました。
浴場の造りは、基本的に旧浴場を踏襲。脱衣所と浴室はサッシ戸によ
って分けられ、新しくなったとはいえ、脱衣所は16庫の脱衣箱のみが
備えられた簡素な造りです。
湯畑源泉
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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立地上まさに生活温泉と呼ぶべき浴場であり、我々のような外来者も引き続き入浴させていただけるよう、
マナーを守って大切に利用していかなければならないと痛感しました。           〔10.10.27〕