住 所   群馬県吾妻郡草津町406
  電 話   0279-88-2005
 営業時間   立寄り 11:00~14:00
 入浴料   1000円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   白旗源泉
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   50.8  ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.76 g/㎏
    H=8.91/Na=54.4/K=26.5/Ca=76.5/Mg=37.4/Al=43.9/
  Fe2=17.6/Mn=1.96(267㎎/㎏)
  F=9.5/Br=1.5/Cl=310/SO4=651/HSO4=195
  (1167㎎/㎏)
  H2Si03=216/HBO2=8.1/H2SO4=4.4(229㎎/㎏)
  CO2=88.0/H2S=7.7(95.7㎎/㎏)     〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪11.10.09
 評 価   ★★★★
 草津温泉
益 成 屋 旅 館
                           くさつおんせん えきなりやりょかん
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
木箱と繋がった木樋の湯口から各湯船に掛け流されているのは、10軒の
宿のみに引湯されているという白旗源泉。
主浴槽に満たされた透明度30㎝ほどの白濁した少し熱めの湯からは、弱
い焦げ硫黄臭と強レモン酸味とともにぬるっとした肌触り、一方、小浴
槽の湯は、ややぬるめで透明度70㎝ほどと白濁度は少し弱いものの、湯
の香はよりしっかり感じられました。

自慢の浴場だけあって、全体的に木造りの温もりが感じられ、風情につ
いても申し分なし。
縁材の下端に刳り込まれた長方形の孔から溢れ出る湯によって妖しく光
る床の美しさが、とても印象に残りました。       〔12.12.05〕
2008年3月に改装された浴室は、壁
から天井に暗色仕上げの木材、床に
家屋材としては一級品と評される無
節の檜材が用いられており、両者の
コントラストがとても良い雰囲気を
醸し出しています。
格子扉を開けて2段上がった先に
ある総板張りの脱衣所は、それほ
ど広くはありませんが、明るさを
抑えた照明とBGMに流れる琴の
音によって落ち着きのある空間に
演出されており、左側に洗面ボウ
ル2基、右手前には15庫の脱衣箱
が設えられていました。
浴場は、“弁天の湯”と呼ばれる総檜造りの男女別大浴場のほか、客室数に合
わせて石造り2(瑠璃の湯・千代の湯)・檜造り4(関の湯・松の湯・熱の湯・鷲
の湯)の6か所の専用貸切風呂が設けられており、後者では湯畑から直接引いた
湯畑源泉が利用されているそうです。
『益成屋旅館』は、湯畑から西の河
原通りに入って40m余り、鉤形に屈
曲する通りの曲がり角に所在する、
江戸時代末期に湯治に訪れていた宮
大工が造営したと伝えられる和風旅
館です。

草津の湯宿らしい白壁と黒褐色の木
材のコントラストが美しい建物は、
350坪の広さを有するという木造3階
建て。
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
白旗源泉
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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右側手前には2
基のシャワーカ
ランが並び、左
奥に2.95×1.6
m、右奥に1.75
×1.15mほどの
やはり無節の檜
材で縁取られた
タイル張りの湯
船が配されてい
ます。
立寄りの場合は、玄関前から左手のガラス
越しに見える大浴場のみ入浴が可能で、ロ
ビーから休息処の裏手に回るように廊下を
左・右へ折れ、階段を3段下りると、右側
が男湯、左が女湯となっています。
客室と食事処はそれぞれ6室を数
え、客室はすべて隣室がない贅沢
な造りとなっています。

玄関を入ると、板張りのロビーの
右に帳場、すぐ左に囲炉裏の設置
された休息処があり、正面左には
見事な鎧兜が展示されています。
また、表の看板に“押花草の宿”
と謳われているように、館内には
女将と若女将の押花作品が至る所
に飾られていました。