住 所   群馬県吾妻郡草津町草津421
  電 話   0279-88-9000
 営業時間   7:00~21:00
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   湯畑 / 万代鉱
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉 /
  酸性-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.3 / 96.5 ℃
 pH   2.1 / 1.6
 成分総計   1.69 / 3.32 g/㎏
    H=8.91/Na=56.0/K=27.5/Ca=73.5/Mg=36.3/Al=43.8/
  Fe2=17.5/Mn=1.88(265㎎/㎏)
  F=9.9/Br=1.3/Cl=311/SO4=640/HSO4=192
  (1154㎎/㎏)
  H2Si03=4.3/HBO2=21.6/H2SO4=8.2(229㎎/㎏)
  CO2=36.7/H2S=7.1(43.8㎎/㎏)
       〔2013.05.15〕

  H=26.0/Na=101/K=57.9/Ca=102/Mg=57.0/Al=47.1/
  Fe2=6.31/Mn=2.89(400㎎/㎏)
  F=23.2/Br=2.9/Cl=742/SO4=836/HSO4=732
  (2336㎎/㎏)
  H2SO4=48.1/H2SiO3=501/HBO2=18.7(568㎎/㎏)
                            〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪13.08.23
 評 価   ★★★★
 草津温泉
御 座 之 湯
                                くさつおんせん ござのゆ
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
左側手前にはパーテーションで仕切られた4名分の洗い場が
あり、対して仕切り壁のある右側には、手前に掛け湯槽、そ
の奥に前後2槽に仕切られた3.85×2.85m強ほどの御影石造
りの湯船が配されていました。

仕切りの右横に設けられた湯口から各湯船に静かに加えられ
ているのは、手前が万代鉱、奥が湯畑源泉。
共同浴場と比べると比較的浸かりやすい湯温に調整された湯
はほぼ無臭で、いずれもレモン酸味と皮膚の表面が溶けるよ
うなぬるぬるした肌触りが楽しめますが、国内有数の酸性度
を誇る万代鉱の方が酸味・ぬるぬる度とも勝り、湯船に浸か
ると肌がピリピリしました。
生憎の空模様で仄暗い浴室は、高い天井に大きな湯気抜きを備えた開放
感のある造り。

石之湯という名のとおり御影石の石板を基調としていますが、壁と天井
には杉などの木材が用いられ、左手の格子窓の下には腰掛けが設えられ
るなど、落ち着きのある空間に仕上げられています。
木之湯・石之湯と名付けられた男女
日替わりの浴場入口はフロントの向
かいにあり、初訪となった今回は、
左側の石之湯が男湯となっていまし
た。

清新な木造の脱衣所はまずまずゆっ
たりしており、右側に24庫ずつの脱
衣箱が背中合わせに置かれ、左奥に
4基の洗面ボウルが並ぶパウダーコ
ーナー、その奥に貴重品ロッカーが
設置されています。
真新しい扁額が掲げられた起り屋
根の庇が覆う5段の石段を上って
入口を入ると、吹抜けとなった総
木造りのロビーの左側にフロント
があり、突き当たりの階段を上が
った2階には、湯畑全体を見渡す
ことができる45畳の大広間“湯源
之間”、有料で家族利用できる12
畳の中広間“座之間”が併設され
ています。

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群馬県の温泉へ



沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。
朝一番の訪問で、入浴客は1~2名といったところ。

主要2源泉をゆったりと落ち着いて楽しむことができると同時に往時の繁栄振りを偲ぶことができる、草津
の新しいランドマークとしての役割も期待されている浴場です。              〔14.09.15〕
『御座之湯』は、北山創造研究所の代表 北山孝雄氏が提言した「湯源
湯路街」構想に基づき、草津山光泉寺へ向かう石段のすぐ右側に、綿の
湯・脚気の湯・滝の湯・鷲の湯とともにかつて“草津五湯”と称されて
いた共同浴場のうち、江戸時代前期の1672(寛文12)年から1888(明治21)
年まで実在し、源頼朝が草津に立ち寄った折に腰掛けたと伝えられる御
座石が祀られていたことからその名が付けられたという御座之湯を復元
し、2013年4月25日にオープンした日帰り入浴施設です。

建築家の北山孝二郎氏が率いるK計画事務所が基本・実施設計を手掛け、
総工費約4億円を投じて建築された建物は、木造の2階建て。
何層にも重なる屋根も、ステンレス鋼板の上にトントン葺きで杉板を葺
いたという拘りぶりです。