住 所   群馬県吾妻郡草津町草津51-2
  電 話   0279-88-3323
 営業時間   立寄り 要確認
 入浴料   525円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   湯畑
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.3  ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.69 g/㎏
    H=8.91/Na=56.0/K=27.5/Ca=73.5/Mg=36.3/Al=43.8/
  Fe2=17.5/Mn=1.88(265㎎/㎏)
  F=9.9/Br=1.3/Cl=311/SO4=640/HSO4=192
  (1154㎎/㎏)
  H2Si03=216/HBO2=8.2/H2SO4=4.3(229㎎/㎏)
  CO2=36.7/H2S=7.1(43.8㎎/㎏)
     
〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪08.09.27 泊
 評 価   ★★★★
 草津温泉
素泊りの宿 はなみづき
                    くさつおんせん すどまりのやど はなみづき
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
浴場は玄関から見て1階の右奥にあり、24時間利用可能。
ただし、1か所しかないため、宿泊客は交替で貸切利用する
ことになっています。
浴室には、右奥に寄せて家庭用のポリバスを一回り大きくし
たような白い湯船が置かれ、その周りには簀子が敷かれてい
ます。
予約の際に浴室の画像を眼にしていたため、大きな期待は抱
いていなかったものの、右手前にあるバルブ付きのパイプ湯
口からは湯畑源泉を自在に注入することができ、湯船が小振
りな分、鮮度抜群の状態で堪能することができました。

共同浴場めぐりに明け暮れてしまったため、残念なことにこ
の湯に浸かったのは深夜の一度のみ。
再訪する機会があれば、次回はゆっくりとこの宿ぶろを楽し
みたいと思います。            〔10.11.02〕
『素泊りの宿 はなみづき』は、すずらん通りからターミナル通りに曲
がり、斜め右へ延びる狭い路地を40mほど歩いて行くと右手に所在する
素泊まり専用の湯宿です。
初めて草津温泉を訪れた際、休前日でも1泊1名3570円という格安の値段
が魅力で、共同浴場めぐりの拠点として利用させていただきました。

普通の民家を宿に改造したような造りですが、内外とも手入れが行き届
き、何よりも女将さんを始めとして宿の方々がとても気さくで、まるで
自宅にいるように気兼ねなく過ごさせていただきました。
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
湯畑源泉
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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