住 所   群馬県吾妻郡草津町草津 (文京区)
  電 話   
 営業時間   24時間 (清掃時間 除く)
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   湯畑
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.3  ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.69 g/㎏
    H=8.91/Na=56.0/K=27.5/Ca=73.5/Mg=36.3/Al=43.8/
  Fe2=17.5/Mn=1.88(265㎎/㎏)
  F=9.9/Br=1.3/Cl=311/SO4=640/HSO4=192
  (1154㎎/㎏)
  H2Si03=216/HBO2=8.2/H2SO4=4.3(229㎎/㎏)
  CO2=36.7/H2S=7.1(43.8㎎/㎏)
     
〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪08.09.28
 評 価   ★★★★
 草津温泉
喜 美 の 湯
                              くさつおんせん きみのゆ
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。

沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
湯畑源泉
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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温泉街の中心から少し離れた閑静な住宅地の中に立地しているために観光客の姿はほとんどなく、広めの湯
船で静かにゆったりと朝風呂を楽しむことができ、好印象が残った浴場です。        〔10.11.05〕
腰壁から下がコンクリート打ちっ放しとなった浴室には、縁
に角材を這わした2.8×1.3mほどの長方形の水色タイル張り
湯船が左奥に寄せて配されています。
ここでは、バルブ付き湯
口からの直接注入ではな
く、源泉を冷却枡で一旦
受け、そこから少しずつ
湯船へ注いでおり、その
おかげで湯温は適温とな
っています。
湯畑から引かれたほぼ無
色透明の湯からは、明礬
臭が仄かに香り、レモン
酸味とぬるっとした肌触
りを感じました。
『喜美の湯』は、国道292号の草津交差点から100m南の四つ角を左へ折
れ、50m余り東進すると左手奥に所在する、1968年に「文京の湯」とい
う名で創設され、翌年に現浴場名に改称された共同浴場です。
文京区民館の裏に隠れて表通りからはまったく確認することはできず、
草津温泉の中では、凪の湯と並ぶ“路地裏系”浴場と言えるでしょう。

1991年3月に改築された浴舎は、四角い白壁の母屋に蒲鉾形屋根の通路
が突出して付く個性的な造りをしており、宝形造りの屋根の上には時計
台のような小さな湯気抜きが設けられています。
浴場は脱衣所と浴室が大きなガラス戸によって画され、採光十分な明る
い脱衣所には、大振りな脱衣箱8庫と白いプラスチック籠が備えられて
いました。