住 所   群馬県吾妻郡草津町草津479
  電 話   0279-88-5011
 営業時間   立寄り 13:00~17:00
 入浴料   800円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   西の河原源泉(町有)
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.0 ℃
 pH   2.0
 成分総計   2.09 g/㎏
    H=10.0/Na=75.8/K=37.1/Ca=95.3/Mg=48.4/Al=61.8/
  Fe2=15.3/Mn=2.41(346㎎/㎏)
  F=13.9/Br=1.9/Cl=434/SO4=734/HSO4=247
  (1431㎎/㎏)
  H2Si03=248/HBO2=11.1/H2SO4=6.2(265㎎/㎏)
  CO2=44.0/H2S=0.6(44.6㎎/㎏)
      
〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪10.09.23 泊
 評 価   ★★★★
 草津温泉
草 津 ホ テ ル
                             くさつおんせん くさつほてる
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
あと一つ、就寝前に利用させていただいたのが弐の湯。
1~3名用の小さな家族風呂で、シャワーカラン2基と幅1.3
m、奥行き1.0mほどの五角形を呈した石板張りの湯船が配
されていました。

各湯船に掛け流しで供されているのは、無色透明の西の河原
琥珀の池源泉。
弐の湯以外は、湯船が広いこともあってほとんど湯の香は感
知できませんでしたが、湯口では弱い焦げ臭が香り、強い酸
味が感じられました。
また、賽泉の湯のあつめの湯では、湯に浸かった途端に肌が
ピリピリする感覚があり、弐の湯では、浴槽の湯からも弱い
焦げ臭が感じられました。
さらに、左奥
から屋外へ出
ると、やはり
小屋掛けされ
た板張りの露
天があり、そ
こにも3.35×
2.8mほどの
内風呂と同じ
造りの長方形
の湯船が設け
られていまし
た。
一方、琥珀の湯は、大浴場という
こともあって一回り大きな造り。
脱衣所もゆったりしていて、3段
の棚に備えられた籠も1列分多く
なっていました。

内湯は石板張りで、左右にシャワ
ーカランが6基ずつ。
中央には檜で縁取られた4.8×4.0
mほどの石板造りの湯船が配され
ています。
また、露天には、四阿の下に1.7×1.2mほ
どの唐松造りの湯船が配されていました。
まず利用させていただいた
のは、賽泉の湯。
浴場は左右2つに分かれ、
左がぬるめの湯、右があつ
めの湯と露天風呂になって
います。
各々に設けられている脱衣
所には、3段の棚に各段3個
ずつ3列分の籠が備えられ
ていました。

内風呂は両方相似の曲線的
な形ながら、ジャグジー機
能が付いたぬるめの湯は赤褐色の平石張り、あつめの湯は伊
豆石の石板張りで、ガラスブロックの仕切り壁に沿ってシャ
ワーカランがそれぞれ3基ずつ備えられています。
広場へ向かう通路や中央広場の壁面
には、1年に1度はこのホテルを訪れ、
ホテルのすぐ前に美術館も併設され
ている俳優の片岡鶴太郎氏の絵が飾
られ、館内も改装によって歴史の長
さを感じさせない洗練した造りとな
っています。
『草津ホテル』は、温泉街の中心にある湯畑から西へ約400m、西の河
原通りを抜け、しゃくなげ通りを30mほど北上した西の河原園地の入口
右手に所在する、草津で初めてホテルという名を冠した1913(大正2)年
創業の老舗旅館で、一度は草津温泉へ行ってみたいという母のたっての
希望から古稀祝いを兼ねて家族旅行で訪れた際、宿泊利用させていただ
きました。

通りに面した門から坂を上っていくと、山を背後に本館(1960年築)・宝
珠荘(1953年)・白嶺荘(1958年)・新館(1990年)が弧状に建ち並び、滝下
通りに軒を連ねるせがい出し梁造りの建築とは趣が異なるものの、木造
入母屋造り2・3階建ての建物からは堂々とした風格と重厚感が感じられ、
44室を数える客室はすべて純和風となっています。
西の河原源泉
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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群馬県の温泉へ



滞在中に一番感動したのが、夕食の際、古稀のお祝いにと女将さんからいただいた鯛の尾頭付き刺身のサプ
ライズプレゼント。
女将を始めとして従業員の心のこもった温かな応対も申し分なく、温泉以外にも好印象をたくさん抱かされ
た満足度の高い湯宿でした。                    〔12.03.19,14.12.20 記事補訂〕
浴場は中央広場の右奥にある階段
を下りたところに設けられ、階段
の正面に中浴場“賽泉の湯”、右
奥の突き当たりに大浴場“琥珀の
湯”があり、22時で男女入替えと
なっています。

また、その間には“壱の湯”“弐
の湯”という大小2か所の家族風
呂も設けられており、宿泊客は14
~23時と5~9時に無料で予約利用
することができます。
当日は未明から大雨の生憎の空模
様で、予定より早く到着したこと
から、車だけでも停めさせていた
だこうと立派な車寄せがある玄関
に入ってお尋ねしたところ、受付
開始の14時より3時間も前にもか
かわらず、右手にあるフロントで
チェックインをして下さり、そこ
から左へ延びる廊下を進み、中央
広場を下りた奥に続く白嶺荘1階
の“龍胆”に案内していただきま
した(1泊2食 13650円)。