住 所   群馬県吾妻郡草津町草津235-71 (立町区)
  電 話   
 営業時間   10:00~15:00
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   万代鉱
  泉 質   酸性-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   96.5 ℃
 pH   1.6
 成分総計   3.32 g/㎏
    H=26.0/Na=101/K=57.9/Ca=102/Mg=57.0/Al=47.1/
  Fe2=6.31/Mn=2.89(400㎎/㎏)
  F=23.2/Br=2.9/Cl=742/SO4=836/HSO4=732
  (2336㎎/㎏)
  H2SO4=48.1/H2SiO3=501/HBO2=18.7(568㎎/㎏)
                            〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪13.08.24
 評 価   ★★★★
 草津温泉
碧 の 湯
                              くさつおんせん みどりのゆ
左奥の隅に設
えられた平石
積みの湯口か
ら静かに掛け
流されている
のは、1970年
に噴出し、草
津一の湧出量
を誇る万代鉱
源泉。
浴場は前身の旅館のものを基本的
に踏襲しており、清潔感のある脱
衣所は、右奥に12庫の脱衣箱、左
端に洗面台1基が備えられただけ
の簡素な造りとなっています。
ロータリーから歩いて行くと、元
旅館の駐車場の奥に2階建ての白
壁建物が建っており、“碧乃湯”
と書かれた提灯が下がり、扁額が
掲げられた左寄りの庇付き玄関か
ら入場します。

清掃が行われる火・木・土曜の8
時から10時を除き、区民は22時ま
で入浴できますが、一般利用は10
時から15時までに制限されていま
す。
『碧の湯』は、国道292号の道の駅「草津運動茶屋公園」から温泉街へ
向かう途中、400m余り先で国道から右へ逸れ、草津温泉ホテルリゾー
トやホテル クアビオといったリゾートホテルの間を抜ける道を750mほ
ど東進すると現われる環状交差点から北へ35m、立町区グリーンハイツ
という閑静な別荘・住宅地に所在する共同浴場です。

グリーンハイツの住民の強い要望を受け、草津町が「旅館 あい京」と
いう元旅館を買い上げ、2012年12月27日に創設された立町区が管理する
浴場で、草津温泉では1991年のこぶしの湯に次いで21年振り、19番目の
共同湯となります。
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。

トップページへ



群馬県の温泉へ



清掃後に誰も利用していなかったのか、湯船に湛えられた無色透明の湯は激熱で、止むを得ず奥辺の右寄り
に付設されている水カランから最小限の水を加えてようやく入湯。
清澄な湯からは微弱な焦げ臭と強レモン酸味が感じられ、草津屈指の酸性度を誇るだけあって、肌がとても
ぬるぬるしました。

浴場の開設から間もなく、温泉街の中心から離れているためか、観光客の姿は見られず、草津の湯を静かに
じっくりと堪能することができる良い浴場でした。                    〔14.09.10〕
前面に曇りガラス窓が設けられた
浴室は平石張りで、以前はシャワ
ーカランが並んでいた右壁には3
基の水カランが設置され、左奥に
寄せて御影石で縁取った2.0×1.2
m弱ほどの水色タイル張りの湯船
が配されていました。
二重となったガラス戸の玄関を入り、
ピカピカに磨かれたフローリング仕
上げの玄関ホールから左手へ延びる
幅狭の廊下を進むと、右側の手前が
男、奥が女湯に分かれていました。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。