住 所   群馬県吾妻郡草津町草津 (昭和区)
  電 話   
 営業時間   24時間 (清掃時間・15:00~21:00の区民専用
       時間 除く)
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   湯畑
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.3  ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.69 g/㎏
    H=8.91/Na=56.0/K=27.5/Ca=73.5/Mg=36.3/Al=43.8/
  Fe2=17.5/Mn=1.88(265㎎/㎏)
  F=9.9/Br=1.3/Cl=311/SO4=640/HSO4=192
  (1154㎎/㎏)
  H2Si03=216/HBO2=8.2/H2SO4=4.3(229㎎/㎏)
  CO2=36.7/H2S=7.1(43.8㎎/㎏)
     
〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪09.09.20
 評 価   ★★★★
 草津温泉
睦 の 湯
                            くさつおんせん むつみのゆ
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
脱衣所とはガラス戸で画された浴室は、高い木造りの天井を擁し、腰壁
以下は耐酸コーティングされたコンクリート打ちっ放しという、草津の
共同浴場では通有の造りをしています。
『睦の湯』は、国道292号で六合村方面へ向かう途
中、セブンイレブンがある外周道路との信号交差点
から右斜めへ延びる路地を60mほど入った右手、住
宅地の一角に所在する1965年に創設された共同浴場
です。

1989年11月に建て直された間口の広い木造白壁の浴
舎は、前側のみ傾斜が付いた屋根の後方を角度の緩
い切妻屋根が覆い、さらにその上に湯気抜きが載っ
た特徴的な上屋構造をしています。
庇の下には浴場名が書かれた大きな扁額と暖簾が掛
けられ、その奥に曇りガラスの引き戸の入口が男女
隣り合って設けられていました。
浴場内も比較的ゆったりとしており、脱衣所には入
った正面に9庫、さらに少し離れた浴室の入口前に8
庫の脱衣箱がそれぞれ備えられています。
湯畑源泉

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朝夕ともなれば、地元の皆さんが代わる代わる途切れることなく訪れ、大賑わい。普段使いの湯であること
を強く実感させられた浴場です。                            〔11.05.19〕
真ん中には2.55×1.4m
ほどのコンクリート湯船
が短辺を左壁に寄せて配
され、その周りには排水
溝が切られていました。

左奥の湯口からドバドバ
と注がれているのは湯畑
源泉。
少し青み掛かって見える
透明湯からは、ほんのり
焦げたような香りと薄い
レモン汁のような酸味が
感じられ、湯畑らしい柔
らかい浴感がやはり印象
に残りました。

戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。