住 所   群馬県吾妻郡草津町草津 (泉水区)
  電 話   
 営業時間   24時間 (清掃時間 除く)
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   西の河原源泉(町有)
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.0 ℃
 pH   2.0
 成分総計   2.09 g/㎏
    H=10.0/Na=75.8/K=37.1/Ca=95.3/Mg=48.4/Al=61.8/
  Fe2=15.3/Mn=2.41(346㎎/㎏)
  F=13.9/Br=1.9/Cl=434/SO4=734/HSO4=247
  (1431㎎/㎏)
  H2Si03=248/HBO2=11.1/H2SO4=6.2(265㎎/㎏)
  CO2=44.0/H2S=0.6(44.6㎎/㎏)
      
〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪08.09.27
 評 価   ★★★★
 草津温泉
凪 の 湯
                              くさつおんせん なぎのゆ
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
浴場内はガラス戸によって脱衣所と浴室が分けられ、手前に
ある脱衣所は、大振りな脱衣箱が6庫備えられただけの簡素
な造りです。
半地下のために少し薄暗い浴室は、湯船の奥と右壁が2段分
石板張りとなっている以外は湯船も含めてすべて木造りで、
長方形の湯船は1.7×1.1mほどと、関の湯ほどではないもの
の小ぢんまりとしています。
ただし、浴場が地下にあるおかげで天井が高く、それほど窮
屈さは感じられません。

以前は独自源泉が使用されていたそうですが、現在、奥壁中
央のバルブ付きのパイプ湯口から掛け流されているのは、共
同浴場では唯一の西の河原源泉です。
かなり熱めの無色透明の湯からは、明礬臭がほんのり香り、
強いレモン酸味とぬるぬるっとした肌触りを感じました。
『凪の湯』は、湯畑から西の河原通りを西
へ240mほど向かった北側、行き交う観光
客に盛んに温泉饅頭を試食させている、元
祖長寿店という有名(?)な温泉饅頭屋さん
の手前を右へ入った奥にひっそりと所在す
る1855(安政2)年創設の共同浴場です。

1986年7月に改築された切妻造りの浴舎は、
正面下半を石積みとするなど関の湯と似た
ような造りをしていますが、屋根の傾斜が
緩く、妻側を前面に向けていることから、
こちらの方が一回り大きく感じられます。
西の河原源泉
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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温泉自体はもちろんのこと、存在を知らなければ辿り着けない、まさに“路地裏温泉”といった立地、半地
下式の浴場の造りと雰囲気も申し分なく、満足度の高い浴場でした。            〔10.10.24〕
浴場は左右両端にある階段を10段ほど下りた地下に設けられており、向かって
左側が男湯となっていました。