住 所   群馬県吾妻郡草津町草津583-1 (滝下区)
  電 話   
 営業時間   24時間 (清掃時間 除く)
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   煮川源泉
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   45.0 ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.55 g/㎏
    H=7.95/Na=47.7/K=22.9/Ca=62.8/Mg=30.5/Al=38.9/
  Fe2=18.4/Mn=1.59(231㎎/㎏)
  F=8.5/Br=1.6/Cl=263/SO4=576/HSO4=154
  (1033㎎/㎏)
  H2Si03=190/HBO2=6.4/H2SO4=3.1(200㎎/㎏)
  CO2=110/H2S=10(120㎎/㎏)
      
〔2013.05.15〕

 入浴履歴   初訪08.09.27,最終11.08.06(2回目)
 評 価   ★★★★★★
 草津温泉
煮 川 の 湯
                             くさつおんせん にかわのゆ
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
2008年10月から11月にかけて浴室が
改修されたとの報を受け、再訪を期
しながら長らく果たせずにいた煮川
の湯にようやく足を運ぶことができ
ました。

横を通るたびにいつも賑やかな声が
響き渡っている人気の浴場ですが、
訪れた時は入浴を終えたばかりの先
客が1名。
幸運なことにすぐに貸切状態となり
ました。

浴室は板張りで、右側の仕切り壁に寄せて2.3×1.5mほどの
長方形を呈した木造りの湯船が配されています。
他の共同浴場の大半が湯
口から直接湯船へ源泉を
注入しているのに対し、
ここでは一旦木製枡で受
け、樋を使って注いでお
り、枡や樋は温泉成分に
よって真っ白になってい
ました。
湯船に掛け流された透明
感のある湯からは、焦げ
硫黄臭と明礬臭が香り、
肌がぬるぬるしました。
『煮川の湯』は、湯畑からせがい出し梁造りの老舗宿が軒を連ねる滝下通りを
300mほど歩いて行くと三叉路の交差点にポツンと建っている、1817(文化14)
年に「にゑ川の湯」という名で創設され、1938年に現在の浴場名に改められた
共同浴場です。
すぐ横では草津温泉を代表する源泉の一つ、煮川源泉が湧出しており、その奥
にある人気の日帰り入浴施設 大滝乃湯とともに、この源泉を利用している浴
場として知られています。

1988年12月に改築された木造の浴舎は、角度のある三角形の切妻屋根の上にや
はり切妻の湯気抜きを載せた個性的な造り。
草津の共同浴場の中では1、2を競う趣があり、思わず路上で見惚れてしまいま
した。
浴場は左手の格子扉から階段を4段下りた半地下にあり、6庫の脱衣箱が備えら
れた小さな脱衣所とその先の浴室は、ガラスが嵌った木の扉によって画されて
います。
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
煮川源泉
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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趣のある木造りの浴室は、酸性がとても強い草津温泉ならではの耐酸コ
ンクリートに改修。
それでも小振りな木製枡を利用しての源泉の注入方法には変化はなく、
煮川源泉がたっぷりと湯船に掛け流されています。

少し緑色掛かって見える熱めの透明湯は鮮度良好。湯面からは焦げ硫黄
臭がほんのり香り、改めてその良さを実感しました。   〔11.08.08〕
浴舎や浴場の風情に加え、温泉そのものも鮮度良好で、草津の共同浴場の中でもお気に入りの一湯です。

初訪後ほどなくして行われた浴場改修によって、木造の浴室は草津温泉通有の耐酸コーティングされたコン
クリート造りに生まれ変わったとのこと。
木の温もりに好感していただけにちょっぴり残念ですが、新しくなった煮川の湯にもまた一度足を運んでみ
たいと思います。                                   〔10.10.26〕