住 所   群馬県吾妻郡草津町草津356
  電 話   0279-88-2411
 営業時間   立寄り 13:00~15:00
 入浴料   1000円
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   湯畑
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.3  ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.69 g/㎏
    H=8.91/Na=56.0/K=27.5/Ca=73.5/Mg=36.3/Al=43.8/
  Fe2=17.5/Mn=1.88(265㎎/㎏)
  F=9.9/Br=1.3/Cl=311/SO4=640/HSO4=192
  (1154㎎/㎏)
  H2Si03=216/HBO2=8.2/H2SO4=4.3(229㎎/㎏)
  CO2=36.7/H2S=7.1(43.8㎎/㎏)
      
〔2013.05.15〕

 入浴履歴   初訪10.09.23
 評 価   ★★★★
 草津温泉
大 阪 屋
                             くさつおんせん おおさかや
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
両湯船に掛け流しで供されているのは、長い樋を利用して引湯されてい
る湯畑源泉。
湯張り時に加水されているという微白濁透明の湯は、草津では珍しく内
湯はややぬるめ、露天はぬるめとなっていました。
黒御影(女湯は赤御影)の
石板張りの内湯には、右
手前に4基、左に5基のシ
ャワーカランが並べられ、
右奥には板材で鉤形に縁
取った幅4.3m、奥行き4
m強ほどの石板造りの湯
船が配されています。

また、大きなガラスの向
こうには、大小の礫を石
垣のように積み上げて拵
えた半露天があり、そこ
には2.7×1.3mほどの檜
の湯船が設けられていま
した。
浴室との間に大きなガラスが嵌め込まれた脱衣所は、まずまずゆったり
とした広さがあり、浴室に向かって右手の壁沿いに設えられた4段の棚
には、計32個を数える黒と白色の籠が交互に置かれています。
宿泊客の出迎えのために玄関前に待機していた従業員に案内されるまま
に館内へ入ると、式台の先には赤い絨毯が敷かれた広々としたロビーが
あり、その雰囲気に気圧されるものを感じつつ、右手の帳場で立寄り入
浴をお願いします。
なお、入浴料は通常1000円となっていますが、今回はこの宿も加盟して
いる草津の老舗旅館15軒の集まり“和風村”の内湯めぐり通行手形を利
用して、700円で入湯させていただきました。

浴場は“君子の湯”“白玉の湯”という男女別の大浴場のほか、1998年
に岩盤を刳り抜いて造られ、夜間のみ時間交替で入浴できる屋外岩風呂
“岩戸の湯”があり、帳場の前からまっすぐ奥へ向かうと、赤絨毯敷き
の通路の左手前に女湯、その奥に男湯がそれぞれ設けられていました。
『大阪屋』は、草津温泉のシンボルである湯畑から滝下通りで東北東へおよそ90m、共同浴場である千代の
湯の右隣に所在している江戸時代創業の老舗旅館です。

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湯口において感知できる
硫黄臭は浴槽内では判然
としないものの、強い酸
味とぬるぬるした肌触り
が感じられ、山本館で白
旗源泉に浸かってきた直
後だけに、柔らかな浴感
が印象に残りました。

内湯の造りや趣という点
では山本館に軍配が上が
りますが、半露天風呂は
小振りながらなかなか良
い雰囲気で、木の香漂う
ぬる湯をゆったりと楽し
むことができました。
      〔12.03.14〕
初代の中沢市郎左衛門が、江戸最大の油問屋であった大阪屋松沢孫八
商店で修業していたことから、その屋号を名乗ることになったという
純和風の湯宿は、高級感溢れる上屋敷とシンプルな造りの中屋敷、近
年新設された新中屋敷からなり、客室は全31室を数えます。

この通りに軒を連ねる白壁と黒い梁のコントラストが美しい建物は、
2階を支える梁を1階の外壁より外側に突出させ、上階を1階より前面
に張り出させた“せがい出し梁造り”と呼ばれる西上州の養蚕農家に
特有の建築形式で、この宿は創業当時の姿をいち早く再現したそうで
す。
また、提灯を始め至る所に使われている「大阪屋」という味のある文
字は、1929年にこの宿を訪れた俳人の河東碧梧桐の揮毫によるとのこ
とです。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。