住 所   群馬県吾妻郡草津町草津54 (新田区)
  電 話   
 営業時間   24時間 (清掃時間 除く)
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   湯畑
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   51.3 ℃
 pH   2.1
 成分総計   1.69 g/㎏
    H=8.91/Na=56.0/K=27.5/Ca=73.5/Mg=36.3/Al=43.8/
  Fe2=17.5/Mn=1.88(265㎎/㎏)
  F=9.9/Br=1.3/Cl=311/SO4=640/HSO4=192
  (1154㎎/㎏)
  H2Si03=216/HBO2=8.2/H2SO4=4.3(229㎎/㎏)
  CO2=36.7/H2S=7.1(43.8㎎/㎏)
    
 〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪08.09.27
 評 価   ★★★★
 草津温泉
瑠 璃 の 湯
                               くさつおんせん るりのゆ
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
耐酸コーティングされたコンクリート造りの小ぢんまりとし
た浴室には、奥行2.1m、最大幅1.6mほどの変形五角形を呈
したコンクリート湯船が奥に寄せて置かれ、右手前にある赤
いコック付きの湯口から湯畑源泉がドバドバと掛け流されて
います。
湯口の勢いからさぞ激熱かと思いきや、湯船に湛えられたう
っすらと緑色掛かって見える湯は、意外なことにほぼ適温。
微弱な明礬臭とレモン酸味が感じられる、湯畑源泉らしい優
しい肌当たりの湯でした。

関の湯や凪の湯と比べれば湯船も大きく、湯温も他よりは少
し低め。
立寄る観光客も少なく、ゆったりと草津の湯を満喫するには
格好の浴場です。              〔10.10.25〕
『瑠璃の湯』は、草津温泉バスターミナルから湯畑に向かって中央通り
商店街を65mほど下っていくと、通りの左にポツンと所在している1828
(文政11)年に創設された共同浴場です。

1985年12月に改築された外壁がベージュ色をした小さな浴舎は、トタン
を葺いた差し掛け屋根の段差を利用して湯気抜きを設えた独特な造りで、
浴場入口であるサッシ戸の上に浴場名を記した扁額が掛かっていなけれ
ば、気が付かずに通り過ぎてしまうほどさりげなく佇んでいます。
浴場内はサッシ戸によって脱衣所と浴室が分けられ、脱衣所には12庫の
脱衣箱が備えられていました。
湯畑源泉

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戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。