住 所   群馬県吾妻郡草津町草津521-3
  電 話   0279-88-6167
 営業時間   7:00(12/1~4/28 9:00)~20:00
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   万代鉱
  泉 質   酸性-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   96.5 ℃
 pH   1.6
 成分総計   3.32 g/㎏
    H=26.0/Na=101/K=57.9/Ca=102/Mg=57.0/Al=47.1/
  Fe2=6.31/Mn=2.89(400㎎/㎏)
  F=23.2/Br=2.9/Cl=742/SO4=836/HSO4=732
  (2336㎎/㎏)
  H2SO4=48.1/H2SiO3=501/HBO2=18.7(568㎎/㎏)

                           
〔2013.05.15〕
 入浴履歴   初訪10.09.24,最終11.05.05(2回目)
 評 価   ★★★★
 草津温泉
西の河原露天風呂
                       くさつおんせん さいのかわらろてんぶろ
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。
右手前には切妻の屋根掛け、女湯とを画した左手の仕切り塀の
前には片屋根の打たせ湯が設けられ、一番奥の左側では、湯畑
を凌ぐ豊富な湯量を誇る万代鉱源泉が、水を加えて滝のように
注がれていました。
湯船の手前側ではかなりぬるく感じたことから、歩行浴のよう
に一番奥へ進み、湯口付近に陣取りましたが、自然冷却も手伝
ってか、湯口の近くでも湯温はほぼ適温でした。

少し緑掛かって見える透明湯からは、湯の香はほとんど感じら
れないものの、万代鉱源泉らしく強い酸味とぬるぬるした肌触
りがあり、早朝の清々しい空気を吸いながら、ゆったりした一
時を楽しませてもらいました。          〔12.03.16〕
手前に設けられた受付で入
浴料を直接支払い、階段を
上った先にある男女別の脱
衣所棟へ向かいます。
脱衣所は木造りで、人気の
浴場らしく、中には多数の
脱衣箱と有料ロッカーが備
えられていました。

脱衣所を抜けると突然眼前
に広がる石張りの露天風呂
は、男女合わせて500㎡(約
150坪)という噂に違わない
とても広大なもので、周囲に低い板塀が巡らされているもの
の、すぐ横まで山が迫っており、開放感は損なわれていませ
ん。
西の河原園地は、荒涼とした園内
の各所で自噴している源泉が池を
形作り、川となって流下している
様子を散策しながら見学できる、
草津では湯畑に次ぐ人気の観光ス
ポットで、緩やかに上る遊歩道を
上がっていくと、1987年に完成し
たという浴場に到着します。

背後の山の手前では白い湯煙がも
くもくと立ち上がっており、いや
が上にも期待が高まります。

鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。

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『西の河原露天風呂』は、草津温泉のシンボルである湯畑から西の河原通りを経て西へ800m余り、上信越高
原国立公園 西の河原園地の一番奥に所在する町営の日帰り入浴施設です。