住 所   群馬県吾妻郡草津町草津478
  電 話   0279-88-2216
 営業時間   立寄り 10:00~18:00 (要確認)
 入浴料   700円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   君子乃湯
  泉 質   酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   46.8 ℃
 pH   2.2
 成分総計   1.40 g/㎏
    H=7.77/Na=60.2/K=32.7/Ca=65.0/Mg=28.7/Al=40.2/
  Fe2=10.9/Mn=1.34(247㎎/㎏)
  F=12.1/Cl=309/SO4=513/HSO4=99.3(933㎎/㎏)
  H2SO4=1.4/H2SiO3=206/HBO2=7.9(215㎎/㎏)
  H2S=3.0(3.0㎎/㎏)             〔1999.04.12〕
 入浴履歴   初訪13.08.24
 評 価   ★★★★★★★
 草津温泉
泉 水 館
                            くさつおんせん せんすいかん
少し熱めの湯からはしっかりした焦げ硫黄臭とレモン酸味が感じられ、
ピリッとした刺激とともに肌がぬるぬるしましたが、草津の湯にしては
まろやかな浸かり心地が印象に残りました。


湯口から注がれる湯音のみが響く浴場の雰囲気は風情満点で、期待に違
わない満足感。
こちらの宿には宿泊客だけが利用できる“千寿の湯”という高評価の貸
切内湯もあり、いずれ機会を得て宿泊してみたいと思います。
                           〔14.09.26〕
両湯船に奥のパイプ湯口から静かに加えられているのは、江戸時代に草
津十二湯と呼ばれた12源泉(滝の湯・松の湯・熱の湯・白旗の湯・千代
の湯・鷲の湯・地蔵の湯・御座の湯・君子の湯・金比羅の湯・凪の湯・
煮川の湯)の一つに数えられる自家源泉の“君子の湯”。
正面中央のガラス戸からさらに2段分下がった位置にある浴室は、総檜
造りの趣のある造りで、湯気抜きを備えた高い天井の下にはガラス戸が
巡り、夏の陽が磨りガラス越しに降り注ぎ、採光はとても良好です。

その下には奥行き約2mの台形と2.15×2mほどの方形を呈した石造りの
湯船が間仕切りを挟んで左右に配され、その前にはそれぞれシャワーカ
ランが1基ずつ設けられていました。
別棟となった浴場は、帳場の左、玄
関から見て左手前の通路の奥にあり、
突き当たりが女湯、その手前右側が
男湯に分かれています。
休館されることが多いという情報
から、前もって電話でご主人に立
寄り入浴の可否を確認して訪問。

「豆吉本舗」という豆菓子店の右
横の臙脂色の暖簾が掛かった開口
部から奥へ歩を進め、瓦葺きの小
さな門に続く玄関を入ると、明る
く清潔感のある玄関ホールの左に
帳場があり、声を掛けさせていた
だくと、左奥から出てこられた女
将さんが応対して下さいました。
沼田藩真田家の改易後に江戸幕府の天領となった近世には、1717
(享保2)年に8代将軍吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に運ばせたり、
小林一茶・十返舎一九・佐久間象山といった文人も訪れています。
また、この時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年
に1万人を超えて、“草津千軒江戸構え”と言われるほどの賑わい
ぶりであったそうです。

草津温泉の源泉といえば、岡本太郎のデザインによって温泉街の中
心でロータリー状に整備された湯畑源泉が有名ですが、このほかに
白旗・地蔵・煮川・西の河原・万代鉱といった公的管理されている
源泉や宿泊施設等が所有している小源泉も多数あります。
1975年から硫黄鉱山の坑道で新たに噴出した万代鉱源泉の利用を開
始したのを機に、町による集中管理給湯システムが整備され、一気
に温泉規模が拡大しました。
“草津よいと~こ、一度~は~おいで~(ハドッコイショ)”という湯もみ唄でよく知られる草津温泉は、群
馬県の北西部、草津白根山東麓の標高1170mの高所に、約130軒の宿泊施設、誰でも無料で利用可能な19か所
の共同浴場、飲食店・土産物屋などが集まる、わが国を代表する温泉地の一つです。

毎分36839ℓ、ドラム缶にして1日に25万本という自然湧出量では日本一の豊富な湯量を誇り、加えてpH2.0前
後という日本有数の酸性度から、温泉街に建ち並ぶ旅館や共同浴場のすべてが完全放流式を採っています。

トップページへ



群馬県の温泉へ



湯色の方は、湯船の大き
さの割に注入量の多い右
側が少し青み掛かった微
白濁の透明湯、左が半透
明の白濁湯といった具合
で、右手の湯船に浸かる
と底に沈殿していた白い
湯の華が巻き上がり、た
ちまち白色の濁り湯とな
りました。
板扉から7段下りた総木造りの脱衣
所には、左壁に10個のプラスチック
籠を備えた2段棚が設えられ、右奥
には洗面台が設置されていました。
『泉水館』は、湯畑から草津温泉のもう一つの名所である西の河原公園
へ向かって300m余り、西の河原通りの右手に所在する客室数全6室の小
さな湯宿です。

江戸時代に営まれ、文化文政期(1804~1829)に最も栄えた桐屋という豪
壮な料亭の跡地に大正時代初期に創業された老舗の温泉旅館で、湯畑の
西側から西の河原あたりまでを指す泉水区という地名は桐屋の奥庭に設
えられていた泉水に因んでおり、宿名は長野原町出身の画人 萩原秋水
氏(1872~1942)によって命名されたとのことです。
鎌倉時代初期の1193(建久4)年、源頼朝が浅間山三原野で巻狩りを行っ
た際に発見し、案内を務めた木曾義仲の旧臣細野御殿之助に湯本姓を与
え、地頭として温泉経営を任せたと伝えられていますが、確実な史料と
しては、東国への布教活動を行っていた蓮如が、1472(文明4)年に長野
市にある西厳寺の住職の案内で訪れたというのが初出のようです。

また、1489(延徳元)年には、京都相国寺の禅僧で歌人でもあった万里集
九が、詩文集『梅花無人蔵』の中で有馬温泉・下呂温泉とともにその名
泉ぶりを讃えており、少なくとも室町時代の中頃には温泉地として整備
されていたことが窺われます。
なお、万里による記述は、そのまま江戸時代前期に林羅山が唱えた“日
本三名泉”に引き継がれています。
戦国時代には傷病治癒の評価が上がり、丹羽長秀や豊臣秀吉の異父妹で徳川家康の正室になった朝日姫、大
谷吉継・前田利家といった武将らが湯治に訪れているほか、秀吉からは家康に入湯を勧める書状が送られて
います。