住 所   大分県別府市明礬3組
  電 話   
 営業時間   7:00~20:00
 入浴料   無料(お賽銭)
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   鶴寿温泉
  泉 質   酸性・含鉄(Ⅱ・Ⅲ)-硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   61.8  ℃
 pH   1.7
 成分総計   1.583 g/㎏
    H=20.0/Na=24.7/K=10.9/Ca=20.2/Mg=6.9/Al=33.2/
  Fe2=10.0/Fe3=18.0/Mn=0.5(144.4㎎/㎏)
  Cl=3.0/SO4=1225.4(1228.4㎎/㎏)
  H2Si03=209.7/HBO2=0.2(209.9㎎/㎏)
                       〔2009.03.27〕
 入浴履歴   初訪08.08.22,最終11.03.18(2回目)
 評 価   ★★★★★★
 明礬温泉
鶴 寿 泉
                        みょうばんおんせん かくじゅせん
右奥隅にある石造りの源泉枡から延びる鋼管からトボトボと
注がれているのは、1993年分析の単純酸性泉(成分総計0.732
g/㎏・pH値2.5)から、近年、別府でも珍しい酸性緑礬泉へ変
わった独自源泉。
初めて訪れた時には塵状の白い湯の華が少量舞う微白濁、再
訪時には透明度50㎝ほどの灰白色に濁った熱めの湯からは、
レモン汁のような強い酸味が感じられ、線香もしくは薬草の
ような独特の匂いが香っていました。

地蔵泉・神井泉・とびの湯と並んで明礬4大温泉に数えられ
てきた個性的な湯はもちろんのこと、壁の途中まで石板が張
られた重厚で静謐な雰囲気を持つ浴室も素晴らしく、とても
お気に入りの一湯となりました。
地蔵泉が湧出量の減少と泉温の低下によって2004年から閉鎖
を続けている中、明礬温泉に残る唯一の共同湯であり、末永
く守り続けていただきたいと強く感じました。 〔11.07.20〕
別府温泉郷は、伽藍岳(硫黄山・1045.3m)と鶴見岳(1374.5m)という2つの活火山の東麓に湧く、わが国を
代表する温泉地です。

温泉郷内には、“別府八湯”と総称される別府・亀川・柴石・鉄輪・明礬・堀田・観海寺・浜脇という個性
豊かな8か所の温泉地が点在し、掲示用新泉質名として大別される10の泉質のうち、7種類の湯を楽しむこと
ができます。
泉源の数は別府市内で2292孔、湧出量は毎分87636ℓ(『平成29年度 東部保健所報』より)を数え、“泉都”
の名に相応しい日本一の豊富な湯量を誇っています。
『鶴寿泉』は、国道500号の明礬停留所で降車し、国道から分かれて北へ向かう細い坂道を100mほど上った
先、二股に分かれる道の分岐点に所在する市営の共同浴場です。

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入口を入ると、左手が簀子敷
きの脱衣所、その奥が浴室と
なっており、脱衣所には左奥
にプラスチック籠6個を納め
た9庫の脱衣箱が備えられて
いました。

脱衣所より小一段低くなった
浴室は石板張りで、中央には
1.9×1.75mほどの木造りの
方形湯船が配されています。
浴場は、壁で一部仕切られているものの、別府の共同湯では通有の一体型。
その後、1958年12月に7棟が全焼した明礬大火によって焼失。1962年に
再建され、1996年3月に現在の浴舎に建て替えられました。
瓦葺きの切妻屋根の上に湯気抜きを載せた平屋建ての木造建物は、壁全
体を渋い焦げ茶色の木板で仕上げた風情を感じさせる造りで、向かって
左端には、湯上がり後に一息つけるよう庇付きの腰掛けが設えられてい
ます。

左右男女別に分かれた格子戸の浴場入口の間には、小さな地蔵尊が2体
祀られており、地元の皆さんは静かに手を合わせてお参りしています。
お地蔵さんの前には賽銭箱が置かれており、外来の利用者は入浴料代わ
りにお賽銭を納めるようになっています。
江戸時代前期の寛文年間(1661~1673)に豊後森藩の3代藩主 久留島通
清が明礬製造所を訪れた際、村人が新たに浴室を造って入浴に供した
ところ、大いに喜んで「鶴寿泉」と命名したと伝えられる浴場で、も
う一つの共同浴場の地蔵泉が“上の湯”と呼称されていたのに対し、
かつては“下の湯”あるいは“鶴亀泉”とも呼ばれていました。

1902(明治35)年8月刊行の『新撰豊後温泉誌』に紹介されていること
から、その頃までには現在の湯元屋旅館の下手あたりに浴場として整
備されていたことが知られ、1938年頃に道路向かいやや上方の現在地
に移築されました。
明礬温泉は、豊前の戦国大名 大友宗麟(1530~1587)が湯治場として
開発し、発展させた温泉地で、別府市街はもちろんのこと、別府湾か
ら高崎山まで見渡すことができる、別府八湯の中では最も高所となる
標高300~350mの伽藍岳中腹に立地しています。

江戸時代には、1664(寛文4)年に肥後国八代の浪人 渡邉五郎右衛門に
よって製造が始められた明礬の良質な採取地として知られ、藁葺きの
湯の花小屋を利用した明礬の採取方法は、2006年3月に国の重要無形
民俗文化財に指定されました。
湯の花小屋が建ち並ぶ地蔵湯前停留所に降り立つと、立ち込める温泉
ガスの蒸気とともに濃厚な硫黄臭に包まれ、八湯の中では最も往時の
風情を偲ばせてくれる温泉地として、観光客に人気を博しています。