住 所   大分県竹田市直入町長湯7645
  電 話   0974-75-2176
 営業時間   7:00~21:00 (休=16日)
 入浴料   200円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   万寿温泉 大山住の湯
  泉 質   マグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉
 湧出量   85   ℓ/min
 泉 温   51.3  ℃
 pH   7.5
 成分総計   5.412 g/㎏
    Li=1.9/Sr=0.2/Na=457.0/K=86.5/Ca=237.0/Mg=347.0/
  NH4=3.1/Fe2=2.5/Mn=0.5(1135.7㎎/㎏)
  F=0.6/Br=0.5/Cl=226.0/SO4=434.0/HCO3=2740.0/
  (3401.1㎎/㎏)
  H2SiO3=262.0/HBO2=6.9(268.9㎎/㎏)
  CO2=606.0(606.0㎎/㎏)           〔2008.04.30〕
 入浴履歴   初訪11.09.17
 評 価   ★★★★
 長湯温泉
万寿温泉 大山住の湯
           ながゆおんせん まんじゅおんせん おおやまずみのゆ
湯口の下や湯船の周りにはクリーム色の析出物がこってりと付着し、
湯船の上端はかなり内側に狭まっていました。
右奥から延びるパイプ湯口からトボトボと掛け流されているのは、地
下320mで自噴しているという重炭酸土類泉。
湯面に湯の華の膜がうっすらと浮かんだ淡黄白色半透明の適温湯から
は、石鹸のような匂いが香り立ち、湯口の湯を口に含んでみると弱金
気臭味と甘味・少炭酸味が感じられ、肌も少しつるつるしました。

開け放たれたガラス窓から木々の隙間越しにのどかな田園風景やその
背後の里山を眺めながら、これまで入湯してきた長湯の湯とは異なっ
た個性を有した独自源泉をじっくりと楽しませていただきました。
                         〔12.11.02〕
受付から狭い通路をまっすぐ進んだ
奥が家族風呂、その手前を右に曲が
って突き当たった先が女湯で、男湯
はそこからさらに左へ進み、突き当
たりを再度右に折れた最奥の右手に
位置しています。

脱衣所は総板張りで、右側には8庫
の脱衣箱が設えられ、その手前には
木造りのベンチが備えられていまし
た。
『万寿温泉 大山住の湯』は、庄内久住線長湯バイパスの湯の原トンネルから約
400m西進すると左手に所在する、「かくれ茶屋るり子」という食事処も経営し
ている民宿万寿が2002年7月に開業した民営の共同浴場です。
普通の民家のような2階建て建物の正面左
寄りにある温泉マークが描かれたガラス戸
の入口を入ると、すぐ右手が受付となって
おり、備え付けられた木製の料金箱に入浴
料を納め、男女別の浴場へ向かいます。
長湯温泉は、国道210号庄内バイパスの大龍交差点から豊後街道とも呼ばれる県道庄内久住線(30号)で南西
方向へおよそ18㎞、のどかな田園風景の中を東流する芹川に沿って15軒の旅館・民宿や公営・民営の共同浴
場が点在する、九重連山の東麓では最も規模の大きい奥豊後を代表する温泉地です。

もとは湯原温泉と呼ばれ、奈良時代に編纂された『豊後国風土記』に記載された「亦二つの湯河あり。流れ
て神の河に会へり」の“湯河”が芹川を指していると考えられることから、七里田温泉と同様、古代にはす
でに開湯していた可能性が推定されていますが、温泉地として整備が進められたのは江戸時代以降で、1706
(宝永3)年には、岡藩主5代中川久通によって御茶屋が建設され 1781(安永10)年には、中川寛得軒の設計、
藩普請によって御前湯の建設が行われました。

なお、2007年5月、1988年に花王㈱によって命名されてから謳い文句としてきた“日本一の炭酸泉”という
キャッチコピーに関し、炭酸濃度は日本一ではなく、不当表示であるとの一部利用者からの指摘を受け、根
拠が不明確との理由から“日本一”の表示を行わないよう県から行政指導を受けましたが、全国各地の温泉
を調査したうえで、炭酸濃度・温度と湧出量、公衆浴場の充実、温泉資源保護に関する条例の制定などを総
合的に捉え、長湯温泉協会は同年12月7日に改めて「日本一の炭酸泉」を宣言しました。

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浴室はコンクリー
ト造りで、右側に
シャワーカラン2
基が鉤形に配され、
正面にはガラス窓
が嵌った左奥に寄
せて幅・奥行きと
もに3mほどの五
角形の湯船、その
右横に1.2×0.8m
ほどの小浴槽がそ
れぞれ設けられて
います。
昭和に入ると、ドイツのカルルスバードで温泉治療学を学び、九州帝
国大学別府温泉治療学研究所に在籍していた松尾武幸博士が長湯温泉
の効能を科学的に証明し、直入の裕福な農家の長男で、研究所で松尾
の手伝いをしていた御沓重徳は、この稀少な温泉を全国に広めるべく
1933年に長湯観光協会を設立し、パンフレットの作成や田山花袋・種
田山頭火・野口雨情・与謝野晶子といった文人の招聘、1935年に自身
が経営する愛泉館という旅館の庭にドイツ建築の公衆浴場 御幸湯を
建設するなど、温泉地の発展に尽力しました。

また、1978年には国民保養温泉地に指定され、2006年5月には、十津
川温泉郷(奈良県)・川湯温泉(北海道)・関温泉(新潟県)に次いで、九
州では初めて“源泉かけ流し宣言”を行いました。