住 所   大分県竹田市直入町長湯3538-2
  電 話   0974-75-2912
 営業時間   立寄り 10:00~18:00
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   有限会社 郷の湯旅館
  泉 質   マグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉
 湧出量   127.0  ℓ/min
 泉 温   51.0   ℃
 pH   8.5
 成分総計   5.573  g/㎏
    Li=0.9/Na=486.0/K=82.0/Ca=197.0/Mg=310.0/NH4=1.4/
  Fe2=3.7/Mn=0.5(1081.5㎎/㎏)
  F=0.4/I=0.7/Cl=240.0/SO4=453.2/HCO3=2760.0/
  S2=0.2(3454.5㎎/㎏)
  HAsO2=0.1/H2SiO3=235.0/HBO2=10.3(245.4㎎/㎏)
  CO2=792.0(792.0㎎/㎏)           〔2010.02.23〕
 入浴履歴   初訪11.09.16
 評 価   ★★★★★★
 長湯温泉
郷 の 湯 旅 館
                           ながゆおんせん さとのゆりょかん
湯船には薄黄褐色半透明
の湯がたっぷりと満たさ
れ、湯面の2/3ほどを湯
の華が薄膜のように覆っ
ていたため、これをパリ
パリと割りながら入湯し
ました。

左手前の湯口から静かに
掛け流されているのは、
地下200mで自噴してい
るという自家源泉の重炭
酸土類泉。
浴室も壁回りは竪板で仕上げられていますが、床は全面が淡黄色の析出
物に覆われているため判然としません。
奥には3.0×1.9mほどの石造りと思われる湯船が配され、こちらも全体
に析出物がこってりと付着しています。
門の右脇から木造の浴舎に足を踏み入れると、手前が男湯の“さとの湯”、奥
が女湯の“薬師の湯”となっています。

総板張りの脱衣所は、浴室入口の曇りガラス戸のノブに木の枝を利用している
など手造
り感に溢
れ、左側
には6個
の籠を備
えた2段
の棚が設
えられて
いました。
敷地の一番奥にある駐車場に車を
停めて戻ってくると、大雨で足元
が悪い中をご主人がニコニコして
お出迎え。

浴場は、敷地に入るとすぐ目に入
る門構えの右手にある男女別の内
湯のほか、駐車場の左手前には貸
切の家族湯も設けられています。
『郷の湯旅館』は、県道竹田直入線
(47号)とのT字交差点から庄内久住
線を700mほど西進した長湯温泉の
西外れ、案内板にしたがって左手の
坂を下り、芹川に注ぐ小川を渡った
先に所在している温泉旅館です。

山間の田園風景に囲まれた1万5千坪
の広大な敷地には、本館・湯治棟・
浴場棟・食事喫茶処・家族湯棟など
の木造建物が映画のセットのように
ひっそりと佇んでいます。
なお、2007年5月、1988年に花王㈱によって命名されてから謳い文句としてきた“日本一の炭酸泉”という
キャッチコピーに関し、炭酸濃度は日本一ではなく、不当表示であるとの一部利用者からの指摘を受け、根
拠が不明確との理由から“日本一”の表示を行わないよう県から行政指導を受けましたが、全国各地の温泉
を調査したうえで、炭酸濃度・温度と湧出量、公衆浴場の充実、温泉資源保護に関する条例の制定などを総
合的に捉え、長湯温泉協会は同年12月7日に改めて「日本一の炭酸泉」を宣言しました。
昭和に入ると、ドイツのカルルスバードで温泉治療学を学び、九州帝
国大学別府温泉治療学研究所に在籍していた松尾武幸博士が長湯温泉
の効能を科学的に証明し、直入の裕福な農家の長男で、研究所で松尾
の手伝いをしていた御沓重徳は、この稀少な温泉を全国に広めるべく
1933年に長湯観光協会を設立し、パンフレットの作成や田山花袋・種
田山頭火・野口雨情・与謝野晶子といった文人の招聘、1935年に自身
が経営する愛泉館という旅館の庭にドイツ建築の公衆浴場 御幸湯を
建設するなど、温泉地の発展に尽力しました。

また、1978年には国民保養温泉地に指定され、2006年5月には、十津
川温泉郷(奈良県)・川湯温泉(北海道)・関温泉(新潟県)に次いで、九
州では初めて“源泉かけ流し宣言”を行いました。
長湯温泉は、国道210号庄内バイパスの大龍交差点から豊後街道とも呼ばれる県道庄内久住線(30号)で南西
方向へおよそ18㎞、のどかな田園風景の中を東流する芹川に沿って15軒の旅館・民宿や公営・民営の共同浴
場が点在する、九重連山の東麓では最も規模の大きい奥豊後を代表する温泉地です。

もとは湯原温泉と呼ばれ、奈良時代に編纂された『豊後国風土記』に記載された「亦二つの湯河あり。流れ
て神の河に会へり」の“湯河”が芹川を指していると考えられることから、七里田温泉と同様、古代にはす
でに開湯していた可能性が推定されていますが、温泉地として整備が進められたのは江戸時代以降で、1706
(宝永3)年には、岡藩主5代中川久通によって御茶屋が建設され 1781(安永10)年には、中川寛得軒の設計、
藩普請によって御前湯の建設が行われました。
表面は熱かったものの、良く掻き混ぜると湯温は適温となり、底に沈殿していた湯の華が巻き上がって乳白
色の濁り湯となりました。
浴槽内では成分臭が仄かに感知できる程度ですが、湯口では芒硝っぽい薬臭に加えて油臭もわずかに香り、
痕跡的ながら炭酸味も感じられました。

朝から降り続く雨の影響からか、ほかに入浴客のいない静謐な中、“沸かさず、薄めず、循環せず”という
ご主人拘りの湯をじっくりと満喫させていただきました。                 〔12.10.25〕

トップページへ



大分県の温泉へ



家族湯