住 所   大分県竹田市直入町長湯7773-6
  電 話   
 営業時間   6:00~22:00
 入浴料   100円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   長生湯
  泉 質   マグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   42.5  ℃
 pH   6.6
 成分総計   4.492 g/㎏
    Li=1.1/Na=369.5/K=73.0/Ca=193.4/Mg=260.0/Fe2=2.4/
  Mn=0.5(899.9㎎/㎏)
  Cl=158.2/SO4=315.4/HCO3=2141.8(2615.4㎎/㎏)
  H2SiO3=213.2/HBO2=5.4(218.6㎎/㎏)
  CO2=757.9(757.9㎎/㎏)           〔2006.11.13〕
 入浴履歴   初訪11.09.16
 評 価   ★★★★
 長湯温泉
天 満 湯
                              ながゆおんせん てんまんゆ
以前は天満湯源泉というぬるめの独自源泉が利用され、自動ドアの透明
ガラスにも「天満湯は36度足らずの幾分ぬるめの温泉です。ご理解の上
ご利用下さい。」と断りが記されていましたが、現在は湯温と“ぬる”
という文字が消されていました。
湯船に満たされた緑褐色濁りの適温の湯からは、ほんのり油臭を帯びた
金気臭と少炭酸味が感じられ、湯船の縁や周りの床は析出物によって薄
くコーティングされていました。

沖縄本島近海に停滞する台風15号の影響による悪天候もあって、入れ替
わるように先客が帰られてからは終始貸切状態。
少し鄙びた雰囲気の中、長湯温泉を静かに落ち着いて、しかも安価に楽
しむことのできる良い浴場でした。           〔12.09.30〕
目地切りされたコンクリ
ート張りの浴室には、左
に水カラン2基、木造の
仕切り壁のある右奥に寄
せて2.4×1.7mほどのコ
ンクリート造りの湯船が
配されています。

右奥のパイプ湯口からド
ボドボと掛け流されてい
るのは、川向かいにある
市営公衆浴場の長生湯で
も利用されている長生湯
源泉。
浴場は透明ガラスが嵌められた仕切り壁によって脱衣所と浴室が画さ
れ、手前の脱衣所には、左奥に8個のプラスチック籠を納めた15庫の
脱衣箱、その手前に10庫の100円コインロッカーが設置されています。
1階部分が駐車場となったコンクリ
ート造り2階建ての白壁建物の奥が
湯気抜きを備えた浴舎となっており、
右側の回転式バーを押しながら前に
進み、右手にある料金箱に入浴料を
投入すると、その先の自動ドアが開
く仕組みとなっています。

中に入るとガランとしたフロアがあ
り、左手前のサッシ戸が男湯の入口
となっていました。
『天満湯』は、温泉街のほぼ中心で旧街道から分かれて南へ200m余り、芹川に架かる天満橋で右岸側に渡
ると正面右手、湯乃原天満社の向かい側に所在する市営の公衆浴場です。
昭和に入ると、ドイツのカルルスバードで温泉治療学を学び、九州帝国
大学別府温泉治療学研究所に在籍していた松尾武幸博士が長湯温泉の効
能を科学的に証明し、直入の裕福な農家の長男で、研究所で松尾の手伝
いをしていた御沓重徳は、この稀少な温泉を全国に広めるべく1933年に
長湯観光協会を設立し、パンフレットの作成や田山花袋・種田山頭火・
野口雨情・与謝野晶子といった文人の招聘、1935年に自身が経営する愛
泉館という旅館の庭にドイツ建築の公衆浴場 御幸湯を建設するなど、
温泉地の発展に尽力しました。

また、1978年には国民保養温泉地に指定され、2006年5月には、十津川
温泉郷(奈良県)・川湯温泉(北海道)・関温泉(新潟県)に次いで、九州で
は初めて“源泉かけ流し宣言”を行いました。
長湯温泉は、国道210号庄内バイパスの大龍交差点から豊後街道とも呼ばれる県道庄内久住線(30号)で南西
方向へおよそ18㎞、のどかな田園風景の中を東流する芹川に沿って15軒の旅館・民宿や公営・民営の共同浴
場が点在する、九重連山の東麓では最も規模の大きい奥豊後を代表する温泉地です。

もとは湯原温泉と呼ばれ、奈良時代に編纂された『豊後国風土記』に記載された「亦二つの湯河あり。流れ
て神の河に会へり」の“湯河”が芹川を指していると考えられることから、七里田温泉と同様、古代にはす
でに開湯していた可能性が推定されていますが、温泉地として整備が進められたのは江戸時代以降で、1706
(宝永3)年には、岡藩主5代中川久通によって御茶屋が建設され 1781(安永10)年には、中川寛得軒の設計、
藩普請によって御前湯の建設が行われました。

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御茶屋を開いた5代藩主久通の側
室で胃腸病に苦しんでいた陽光院
が、夢枕に立った薬師如来のお告
げにしたがって湯治を行ったとこ
ろ全快したと伝えられる湯で、か
つては“湯ノ河原湯”と呼ばれ、
天満社の横の山手に位置していま
したが、1752(宝暦2)年の大雨に
よる土砂崩れによって潰されてし
まったそうです。
なお、2007年5月、1988年に花王㈱によって命名されてから謳い文句としてきた“日本一の炭酸泉”という
キャッチコピーに関し、炭酸濃度は日本一ではなく、不当表示であるとの一部利用者からの指摘を受け、根
拠が不明確との理由から“日本一”の表示を行わないよう県から行政指導を受けましたが、全国各地の温泉
を調査したうえで、炭酸濃度・温度と湧出量、公衆浴場の充実、温泉資源保護に関する条例の制定などを総
合的に捉え、長湯温泉協会は同年12月7日に改めて「日本一の炭酸泉」を宣言しました。