住 所   長野県下高井郡野沢温泉村豊郷
  電 話   
 営業時間   5:00(12~3月 6:00)~23:00
 入浴料   寸志
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   大釜・御嶽 混合泉
  泉 質   単純硫黄泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   70.8 ℃
 pH   8.6
 成分総計   0.879 g/㎏
    Na=188.0/K=10.6/Ca=60.9/Mg=0.2/Al=0.6/NH4=1.0
  (261.3㎎/㎏)
  F=0.8/Br=0.2/Cl=75.7/SO4=389.8/HCO3=33.8/
  CO3=10.6/HS=7.5(518.4㎎/㎏)
  H2Si03=93.0/HBO2=6.1(99.1㎎/㎏)
  H2S=0.2(0.2㎎/㎏)
             
〔2008.09.29〕
 入浴履歴   初訪08.07.25,最終10.09.18(2回目)
 評 価   ★★★★
 野沢温泉
松 葉 の 湯
                            のざわおんせん まつばのゆ
右端にあるカランから最
小限の水を加えて、何と
か入湯。

無色透明の湯からは、少
しガスっぽい匂いのする
焦げ硫黄臭と微弱な苦味
が感じられ、湯の中では
半透明の綿のような大き
な湯の華が見られました。
野沢温泉村では38か所の泉源が知られ、古くは「釜潭」(熱湯がたぎ
る縁)と呼ばれた“麻釜”(おがま)では、地元住民が野沢菜や卵など
を茹でるのに利用しています。

また、村内には御殿湯であった大湯をはじめ13か所の共同浴場(外湯)
が点在しており、江戸時代から湯仲間という制度によって守り続けら
れてきました。
現在でも、この株仲間が当番制で清掃や管理に当たり、宿泊客はもち
ろんのこと、日帰りの観光客も寸志で入浴することができます。
鎌倉時代には「犬養御湯」と呼ばれ、承久の乱(1221年)で佐渡へ配流と
なった順徳天皇により、名取御湯(宮城県 秋保温泉)・信濃御湯(長野県
別所温泉)とともに『三御湯』に選定されています(犬養御湯ではなく、
三函御湯=福島県 いわき湯本温泉の説もあり)。
1272(文永9)年には、湯山村という名で歴史に登場しています。

江戸時代には、1639(寛永16)年に藩主となり、飯山藩の基礎を固めた松
平忠倶によって御殿湯が置かれ、合わせて浴場や宿を湯治場として整備
し、広く一般にも開放したことから、多くの民衆がこの山里を湯治に訪
れるようになり、明治初期には3年間で2万人以上を数えるほどになりま
した。
野沢温泉は、上信越自動車道の豊田飯山I.Cから国道117号と県道飯山野沢温泉線(38号)経由で20㎞余り、毛
無山(1650m)の西麓に旅館・ホテル・民宿など200軒以上の宿泊施設が集まる、“温泉大国”信州を代表す
る温泉地です。

開湯については、聖武天皇の時代(724~748)にこの地を訪れた行基が発見したとされていますが、そのほか
にも、修行をしていた山伏が見つけた、あるいは、手負いの熊が傷を負った手を湧出口に浸しているのを猟
師が見つけ発見した、という説も伝わっています。
石製の湯口からトボトボと掛け流されているのは、麻釜の一
つ、大釜からの引湯(2017年現在は上記源泉)。右横のカラン
からは同時に冷泉が加えられているものの、湯船の中は相当
な熱さです。

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初めて訪れた時は湯張りの最中で、ほとんど腰湯に近い状態。
そして、リベンジを期した今回は、激熱のためにごく短い時間身体を浸けるのが精一杯という有様で、正当
な評価を下せるような状況ではありませんでした。

いつも利用者の少ない雰囲気の良い浴場なだけに、次回こそゆったりとこの掛け流しの湯を満喫したいと思
います。                                       〔10.10.04〕
この浴場は、脱衣所とその奥に続く浴室がガラス戸によって仕切られ
た分離型。板張りの脱衣所には左手前に5、正面に9庫の脱衣箱が備え
られています。

正面と右側のガラス窓から柔らかい光が射し込む採光十分な浴室は、
壁面腰下に石板を積み、床には大きさの異なる黒色あるいは白っぽい
タイル状の石板を張っています。
その真ん中には、黒御影で縁取り、側面を濃緑色の方形の小タイル、
底を石板張りとした2.0×1.85mほどの方形湯船が、仕切り壁に一辺
を寄せて配されていました。
『松葉の湯』は、大湯から大湯通りを100m余り南下し、松葉民宿街と呼ばれ
る坂道を東へ80mほど上ると左手に所在する共同浴場で、昔、矢場があったこ
とから“的場”と呼ばれ、それが訛って現在の地名となったそうです。
1960年に創設された外湯の中では比較的
歴史の浅い浴場ですが、1982年に建て替
えられた浴舎は、洗濯場にもなっている
1階の石積みの上に、寺社を想わせるよ
うな木造の湯屋建築を築いた少し凝った
造りで、ちょうど中尾の湯をギュッと圧
縮したような印象を受けます。

右手の階段を上っていくと、突き当たり
に女湯、その右手前に男湯の入口扉があ
り、女湯の入口の右上には、十二神将の
一人である“宮毘羅(くびら)大将が、こ
の浴場の守り仏として祀られています。