住 所   長野県下高井郡野沢温泉村豊郷寺湯8965
  電 話   0269-85-2058
 営業時間   
 入浴料   
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   丸釜・茹釜・竹伸し釜・下釜・御嶽の湯 混合泉
  泉 質   含硫黄-ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   77.0 ℃
 pH   8.8
 成分総計   1.059 g/㎏
    Sr=0.6/Na=203.7/K=6.8/Ca=87.0/NH4=1.2(299.3㎎/㎏)
  F=1.0/Br=0.3/Cl=86.5/SO4=529.0/HCO3=10.4/
  CO3=15.0/OH=0.1/HS=5.2(647.5㎎/㎏)
  H2Si03=104.1/HBO2=8.0(112.1㎎/㎏)  
〔2014.11.14〕
 入浴履歴   初訪12.05.03 泊
 評 価   ★★★★
 野沢温泉
中 島 屋 旅 館
                      のざわおんせん なかじまやりょかん
パイプによって550m送
湯され、左奥の礫積みの
湯口から注がれているの
は、共同浴場の麻釜の湯
や中尾の湯と同じく麻釜
の4泉源と御嶽の湯の混
合泉。
内湯のみの浴室はタイル張りで、右側に3基、左手前に1基の
シャワーカランが備えられ、左奥には黒御影で縁取った2.7
×1.8mほどの水色タイル張りの湯船が配されていました。
浴場はフロントの横を抜けた奥、
食事処として利用した大広間の右
向かいにあり、手前側の“山吹の
湯”が男湯、奥の“雪椿の湯”が
女湯となっています。

脱衣所は天井・壁とも板張りで、
右奥に5個ずつ籠を納めた3段棚が
設えられ、その手前には洗面ボウ
ルがひとつ設置されています。
熊の手洗湯に因んででしょうか、
開け放たれたガラス格子戸の玄関
前には、石造りの熊2頭が左右に
お出迎え。

館内に入ると、ロビーの手前側に
置かれたソファにも熊の毛皮が掛
けられており、その横を抜けて奥
のフロントでチェックインを行い
ます。
『中島屋旅館』は、野沢温泉発祥の湯と伝えられる共同浴場の熊の手洗
湯の斜め向かいに所在する1913(大正2)年創業の老舗旅館です。

2007年5月25日、わが国で6番目に行った“源泉かけ流し宣言”を機に24
軒の旅館・民宿と13の共同浴場が加盟して発足した「野沢温泉源泉かけ
流しの会」の会員宿で、GW後半に家族旅行で野沢を訪れた際、宿泊利
用しました。
1998年に改築されたという建物は3階建てで、客室は全17室を数えます。
野沢温泉村では38か所の泉源が知られ、古くは「釜潭」(熱湯がたぎ
る縁)と呼ばれた“麻釜”(おがま)では、地元住民が野沢菜や卵など
を茹でるのに利用しています。

また、村内には御殿湯であった大湯をはじめ13か所の共同浴場(外湯)
が点在しており、江戸時代から湯仲間という制度によって守り続けら
れてきました。
現在でも、この株仲間が当番制で清掃や管理に当たり、宿泊客はもち
ろんのこと、日帰りの観光客も寸志で入浴することができます。
野沢温泉は、上信越自動車道の豊田飯山I.Cから国道117号と県道飯山野沢温泉線(38号)経由で20㎞余り、毛
無山(1650m)の西麓に旅館・ホテル・民宿など200軒以上の宿泊施設が集まる、“温泉大国”信州を代表す
る温泉地です。

開湯については、聖武天皇の時代(724~748)にこの地を訪れた行基が発見したとされていますが、そのほか
にも、修行をしていた山伏が見つけた、あるいは、手負いの熊が傷を負った手を湧出口に浸しているのを猟
師が見つけ発見した、という説も伝わっています。

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熱交換器で湯温調整されたわずかに白濁した透明湯からは、ガスっぽい匂いが加わった焦げ硫黄臭と苦味が
感じられ、湯の中では白色や淡褐色半透明の湯の華が多量に舞っていました。

老舗の湯宿らしい風情や際立った特徴はありませんが、野沢温泉らしい硫黄臭が香り立つ少し熱めの湯をじ
っくりと満喫できる佳宿です。                             〔13.03.13〕
利用させていただいたのは、3階で
エレベーターを下りるとすぐ右手に
位置する“保名(やすな)”。

10畳間の奥に内縁が付いた明るく落
ち着いた部屋で、家族一同、ゆった
りと寛ぐことができました(じゃら
ん利用 1泊2食12500円+入湯税)。
鎌倉時代には「犬養御湯」と呼ばれ、承久の乱(1221年)で佐渡へ配流と
なった順徳天皇により、名取御湯(宮城県 秋保温泉)・信濃御湯(長野県
別所温泉)とともに『三御湯』に選定されています(犬養御湯ではなく、
三函御湯=福島県 いわき湯本温泉の説もあり)。
1272(文永9)年には、湯山村という名で歴史に登場しています。

江戸時代には、1639(寛永16)年に藩主となり、飯山藩の基礎を固めた松
平忠倶によって御殿湯が置かれ、合わせて浴場や宿を湯治場として整備
し、広く一般にも開放したことから、多くの民衆がこの山里を湯治に訪
れるようになり、明治初期には3年間で2万人以上を数えるほどになりま
した。