住 所   長野県下高井郡野沢温泉村豊郷大湯9328
  電 話   
 営業時間   5:00(12~3月 6:00)~23:00
 入浴料   寸志
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   大湯
  泉 質   単純硫黄泉
 湧出量   64   ℓ/min
 泉 温   62.6 ℃
 pH   8.4
 成分総計   0.771 g/㎏
    Sr=0.4/Na=158.5/K=3.3/Ca=51.1/Mg=0.1/NH4=1.3
  (214.7㎎/㎏)
  F=0.8/Br=0.3/Cl=81.8/SO4=284.5/HCO3=42.7/CO3=9.0/
  HS=31.0(450.1㎎/㎏)
  H2Si03=98.5/HBO2=6.2(104.7㎎/㎏)
  H2S=1.5(1.5㎎/㎏)             
〔2016.07.19〕
 入浴履歴   初訪08.07.25,最終18.04.01(4回目)
 評 価   ★★★★★★★
 野沢温泉
大  湯
                              のざわおんせん おおゆ
高温のために温泉そのものをじっ
くりと満喫するというわけにはな
かなかいきませんが、存在感のあ
る浴舎、味わい深い浴場は他の外
湯を遥かに凌いでおり、やはり相
応の評価を下さざるを得ないでし
ょう。

なお、浴舎の道向かいには、北信
州の方言で踵という意味の“あく
と”という足湯も設けられていま
す。        〔10.10.07〕
両浴槽には、旅館さかやの敷地内で自噴する大湯源泉が掛け
流し。
60℃代後半の泉温だけあって、手前側のぬる湯槽でも激熱状
態で、しばらく加水してようやく浸かることができる有様。
加水が禁じられているあつ湯に至っては足を浸けることもで
きません。
ほんのり緑色掛かった透明の湯には、綿状の白い湯の華が多
数浮遊し、加水してもなお、濃厚な焦げ硫黄臭が香り、肌が
ぬるっとする感触も感じられました。

居合わせた皆で協力して、加水しながらの湯揉み。そんな楽
しい共同作業ができるのも、浴場が広い大湯ならではです。
やっとの思いで湯船に浸かり、上を見上げると、天井と湯気
抜きの芸術的な造作。ただもう、ぼ~っと見惚れるばかりで
した。
浴場は手前が脱衣所、一段下がったその奥が浴室となった、全体として縦
長の長方形を呈した一体型の造りで、簀子が敷かれた脱衣所には、左手前
に4、その先の左壁沿いに10、湯船の前に8庫の大小の脱衣箱が設えられて
います。
板壁の浴場内は、数基の蛍光灯と磨りガラスを通して淡い光が射し込むだ
けで、日中でも少し仄暗く、雰囲気たっぷり。
野沢温泉は、上信越自動車道の豊田飯山I.Cから国道117号と県道飯山野沢温泉線(38号)経由で20㎞余り、毛
無山(1650m)の西麓に旅館・ホテル・民宿など200軒以上の宿泊施設が集まる、“温泉大国”信州を代表す
る温泉地です。

開湯については、聖武天皇の時代(724~748)にこの地を訪れた行基が発見したとされていますが、そのほか
にも、修行をしていた山伏が見つけた、あるいは、手負いの熊が傷を負った手を湧出口に浸しているのを猟
師が見つけ発見した、という説も伝わっています。
往時の姿を忠実に再現したという1994年
に建て替えられた木造の浴舎は、高い天
井に湯気抜きを備え、入口を見事な唐破
風の庇で覆った、まさに大湯の名に相応
しい風格ある3層の湯屋建築で、重厚で
威風堂々とした山田温泉の大湯とは対照
的に優美さを感じさせるフォルムです。

左右に並ぶ木造の格子扉の上には「犬養
御湯」の額が掛けられ、その下には薬師
如来と日光・月光両菩薩のいわゆる薬師
三尊が、この浴場の守り仏として祀られ
ています。

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浴室は御影石の石板張りで、仕切り壁
に沿って長方形を呈した木造りの湯船
が置かれ、その奥には飲泉も可能な源
泉枡が設けられています。

湯船は仕切り板によって前後2槽に分
けられ、源泉の注入量によって、手前
が“ぬる湯”、奥が“あつ湯”となっ
ています。
『大湯』は、さかや・常盤屋・かめやといった老舗旅館が建ち並んだ温泉街
の中心、江戸時代に藩主の御殿湯が存在していた地に所在する野沢温泉のシ
ンボル的存在の共同浴場で、“犬養の湯”あるいは“惣湯”とも呼ばれてい
ます。
野沢温泉村では38か所の泉源が知られ、古くは「釜潭」(熱湯がたぎ
る縁)と呼ばれた“麻釜”(おがま)では、地元住民が野沢菜や卵など
を茹でるのに利用しています。

また、村内には御殿湯であった大湯をはじめ13か所の共同浴場(外湯)
が点在しており、江戸時代から湯仲間という制度によって守り続けら
れてきました。
現在でも、この株仲間が当番制で清掃や管理に当たり、宿泊客はもち
ろんのこと、日帰りの観光客も寸志で入浴することができます。
鎌倉時代には「犬養御湯」と呼ばれ、承久の乱(1221年)で佐渡へ配流と
なった順徳天皇により、名取御湯(宮城県 秋保温泉)・信濃御湯(長野県
別所温泉)とともに『三御湯』に選定されています(犬養御湯ではなく、
三函御湯=福島県 いわき湯本温泉の説もあり)。
1272(文永9)年には、湯山村という名で歴史に登場しています。

江戸時代には、1639(寛永16)年に藩主となり、飯山藩の基礎を固めた松
平忠倶によって御殿湯が置かれ、合わせて浴場や宿を湯治場として整備
し、広く一般にも開放したことから、多くの民衆がこの山里を湯治に訪
れるようになり、明治初期には3年間で2万人以上を数えるほどになりま
した。