住 所   長野県下高井郡野沢温泉村豊郷新田
  電 話   
 営業時間   5:00~24:00
 入浴料   寸志
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   丸釜・茹釜・竹伸し釜・下釜・御嶽の湯 混合泉
  泉 質   含硫黄-ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   77.0 ℃
 pH   8.8
 成分総計   1.059 g/㎏
    Sr=0.6/Na=203.7/K=6.8/Ca=87.0/NH4=1.2(299.3㎎/㎏)
  F=1.0/Br=0.3/Cl=86.5/SO4=529.0/HCO3=10.4/
  CO3=15.0/OH=0.1/HS=5.2(647.5㎎/㎏)
  H2Si03=104.1/HBO2=8.0(112.1㎎/㎏) 
 
〔2014.11.14〕
 入浴履歴   初訪08.07.25,最終10.09.18(2回目)
 評 価   ★★★★
 野沢温泉
新 田 の 湯
                         のざわおんせん しんでんのゆ
浴室はタイル張りで、正面と左手に窓が設けられているため
採光は良好です。
野沢温泉は、上信越自動車道の豊田飯山I.Cから国道117号と県道飯山野沢温泉線(38号)経由で20㎞余り、毛
無山(1650m)の西麓に旅館・ホテル・民宿など200軒以上の宿泊施設が集まる、“温泉大国”信州を代表す
る温泉地です。

開湯については、聖武天皇の時代(724~748)にこの地を訪れた行基が発見したとされていますが、そのほか
にも、修行をしていた山伏が見つけた、あるいは、手負いの熊が傷を負った手を湧出口に浸しているのを猟
師が見つけ発見した、という説も伝わっています。
わずかに白濁りのある透明湯からは、芳ばしい焦げ硫黄臭が香り、つる
つるした肌触りも楽しめます。また、湯の中では、消しゴム滓のような
半透明の湯の華を目にすることができました。
泉温が80℃を超える高温泉ということもあって、源泉自体は触れること
もできない激熱の湯ですが、湯口の横にあるカランから冷泉がチョロチ
ョロと加えられていることもあって、さして苦労することもなく浸かる
ことができました。

温泉街の中心から離れ、あまり目立たない場所に立地していることもあ
って、宿泊客や観光客の立寄りも少ない静かな浴場です。
高い天井をぼ~っと眺めながら、初めての野沢の湯をじっくりと満喫す
ることができました。                 〔10.09.21〕
中央には御影石で縁取っ
た2.6×1.5mほどの隅丸
長方形のタイル張り湯船
が、奥壁に一短辺を寄せ
て配されています。

奥壁に設けられたライオ
ンの湯口から掛け流され
ているのは、麻釜から引
湯された茹釜と下釜の混
合泉(2017年現在は上記
源泉)。
左側の扉から中に入ると、すぐ目の
前が簀子敷きの脱衣所。
その奥に続く浴室との間は、透明の
ガラス戸によって仕切られています。

脱衣所の左右には、それぞれ12・10
庫の脱衣箱が設えられ、右手には鍵
付きの貴重品ロッカーも備えられて
いました。
幕末に開拓されたという外湯の中
では比較的新しい湯で、屋根の直
下にぐるりと湯気抜きを設け、向
かって右横に洗濯場を併設した白
壁の浴舎は、一見2階建てのよう
に見えます。

正面中央に並ぶ浴場入口の扉の間
には、十二神将の一人である“安
底羅(あんてら)大将”が、この浴
場の守り仏として祀られていまし
た。
『新田の湯』は、新田パーキングの向かいの路地を50mほど東に上がった、西宮神社の裏手の住宅地の中に
ひっそりと所在する共同浴場です。
野沢温泉村では38か所の泉源が知られ、古くは「釜潭」(熱湯がたぎる
縁)と呼ばれた“麻釜”(おがま)では、地元住民が野沢菜や卵などを茹
でるのに利用しています。

また、村内には御殿湯であった大湯をはじめ13か所の共同浴場(外湯)が
点在しており、江戸時代から湯仲間という制度によって守り続けられて
きました。
現在でも、この株仲間が当番制で清掃や管理に当たり、宿泊客はもちろ
んのこと、日帰りの観光客も寸志で入浴することができます。
鎌倉時代には「犬養御湯」と呼ばれ、承久の乱(1221年)で佐渡へ配流
となった順徳天皇により、名取御湯(宮城県 秋保温泉)・信濃御湯(長
野県 別所温泉)とともに『三御湯』に選定されています(犬養御湯で
はなく、三函御湯=福島県 いわき湯本温泉の説もあり)。
1272(文永9)年には、湯山村という名で歴史に登場しています。

江戸時代には、1639(寛永16)年に藩主となり、飯山藩の基礎を固めた
松平忠倶によって御殿湯が置かれ、合わせて浴場や宿を湯治場として
整備し、広く一般にも開放したことから、多くの民衆がこの山里を湯
治に訪れるようになり、明治初期には3年間で2万人以上を数えるほど
になりました。

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