住 所   群馬県吾妻郡中之条町大塚803
  電 話   0279-75-3073
 営業時間   立寄り 9:00~21:00(旧館混浴 ~22:00)
 入浴料   2時間 300円 (超過1時間 100円)
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   温湯2号
  泉 質   単純温泉(アルカリ性)
 湧出量        ℓ/min
 泉 温   32.8  ℃
 pH   7.9
 成分総計   0.50 g/㎏
    Na=107/K=0.78/Ca=53.7/Mg=0.08/Al=<0.05/
  Fe2=<0.01/Mn=<0.005(162㎎/㎏)
  F=0.6/Cl=170/SO4=108/HCO3=10.1/CO3=6.0
  (295㎎/㎏)
  H2SiO3=42.6/HBO2=4.1(46.7㎎/㎏)
                          
〔2004.01.16〕
 入浴履歴   初訪13.09.15
 評 価   ★★★★★★ (暫定)
 大塚温泉
金 井 旅 館
                           おおつかおんせん かないりょかん
内湯の源泉浴槽には、体温を下回る無色透明のぬる湯がたっ
ぷりと満たされ、ほぼ無味無臭ながら最初に浸かった瞬間に
は石鹸のような微香を感知することができ、極微細な泡付き
もわずかに認められました。


何時間も浸かっていることが可能ということで、入浴客はこ
ぞって長湯を決め込み、生憎の空模様にもかかわらず浴場内
は大賑わい。
なお、事前の情報収集不足もあって、残念ながら今回は入湯
を逃してしまいましたが、再訪の機会に恵まれた際には、豪
快な掛け流しですこぶる評判の高い旧館の混浴内湯にぜひと
も浸かってみたいと思います。        〔14.10.27〕
また、正面左のガラス窓から外に出て右手へ階段を下りてい
くと、周りを板で縁取ったゆったりした露天風呂が設けられ
ており、上には片流れの波板葺き屋根が掛けられています。

こちらにも1974年に3代目館主が掘削に成功したという2号源
泉が惜しげもなく掛け流されていますが、台風18号の接近に
伴う降雨の影響で外気温が低いこともあり、ぬる湯を通り越
して少しひやっとしました。
なお、訪問後、露天風呂は造り替えられ、現在は精美な石板
造りの湯船に生まれ変わっているようです。
館内に入ってフローリングの廊下を右へ進むと、左奥に紺碧色と臙脂
色の暖簾が左右に並ぶ浴場入口があり、廊下の途中や暖簾の向かいに
は湯上がりの休憩用にソファが置かれています。

暖簾を潜って木戸を入ると籐タイル張りの脱衣所があり、左手前にボ
ウル2基の洗面台と20庫の脱衣箱が設置され、ガラス窓のある左奥に
は腰掛けが備えられていました。
さらに狭い路地を挟んで地形的に低くなった南側には、2007年の春に
オープンした木造2階建ての新館が建ち並んでおり、客室は全14室を
数えます。

この宿には、旧館の真下に建つ旧館浴場とその向かい側、新館とは南
面する玄関から見て左隣に位置する新館浴場の2か所の浴場があり、
前者には混浴の内湯、後者には男女別の内湯と混浴の半露天風呂が設
けられています。
今回利用させていただいたのは、受付から階段を下りると正面に勝手
口のような入口扉のある新館浴場です。
田圃の中をまっすぐ延びる道を突き
当たりまで進み、右手に確保されて
いる駐車場に車を停めて反対方向へ
歩を進めると、一番手前の電気メー
ターに「大塚温泉 金井旅館」とい
う札が下がっていなければ旅館とは
気が付かない普通の民家のような木
造の2階建て建物3棟が軒を連ねる旧
館があり、この旧館中央の玄関左手
で立寄り入浴の受付を行っています。
『金井旅館』は、沼田市街から国道
145号で中之条町の中心部へ向かう
途中、“宗学寺”という看板を目印
に斜め右へ入り、350m足らず先の
荒木商店という雑貨店の手前で右へ
折れて北へ向かうこと約1㎞、山を
背にして長閑な田園風景の中に佇む、
現在の館主で4代目となる1917(大正
6)年に創業した大塚温泉の一軒宿で
す。

トップページへ



群馬県の温泉へ



透明ガラス戸から出入りす
る浴室は平石張りで、左壁
には4基のシャワーカラン
が並び、右側の手前には大
きさの異なる2つの台形に
仕切られた御影石縁平石張
りの加温浴槽、奥に4.1m
強×2.1mほどの同じ造り
の源泉浴槽が配され、加温
浴槽は一番小さな奥側が少
しぬるめ、手前がぬるめの
湯加減となっています。
真田家の歴史を綴った『吾妻記』に拠れば、戦国時代末期の文禄年間
(1592~1596)、大塚を含むこのあたり一帯は徳川四天王の一人に数え
られる本多忠勝の娘で、沼田城主 真田信之の正室であった小松姫の
知行地となり、奥方付きの家老であった北能登守によって整備が進め
られ、“尻高暖湯”という街道沿いの温泉地として大いに繁栄しまし
た。

1607(慶長12)年、あまりの仕事の忙しさに切れた下女が温泉に馬の骨
を投げ入れたところ、温泉の神である薬師如来が怒っていずこかへ飛
び去ったため、泉温が突然下がってぬる湯となってしまったという伝
えが残されているとのことです。