住 所   群馬県吾妻郡中之条町上沢渡2310
  電 話   0279-66-2841
 営業時間   10:00~20:30 (宿泊者無料)
 入浴料   300円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   県有泉
  泉 質   カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量   135   ℓ/min
 泉 温   54.8  ℃
 pH   8.3
 成分総計   1.1355 g/㎏
    Na=162/K=5.1/Ca=188/Mg=0.04/NH4=<0.05/Fe2=0.01/
  Mn=<0.005(355.15㎎/㎏)
  F=0.8/Cl=195/SO4=499/HSO4=1/HCO3=1.5/CO3=9
  (706.3㎎/㎏)
  H2SiO3=63.4/HBO2=10.6(74.0㎎/㎏) 
 
〔2007.11.11〕
 入浴履歴   初訪13.08.23
 評 価   ★★★★★★
 沢渡温泉
沢渡温泉共同浴場
           さわたりおんせん さわたりおんせんきょうどうよくじょう
沢渡温泉は、JR吾妻線の中之条駅から国道353号(145号が一部重複)と
県道中之条草津線(55号)で北西へ向かうこと9㎞余り、右手に分かれる
旧街道に沿って11軒の湯宿と共同浴場1か所、食事処や商店が建ち並ぶ
山間の閑静な温泉地です。

1191(建久2)年、浅間山麓の三原野で巻狩りを行った源頼朝が、草津温
泉へ立寄った帰途に発見して入湯したと伝えられる温泉で(頼朝による
草津温泉発見は1193年とされており、混乱あり)、江戸時代に入って草
津温泉を多くの湯治客が訪れるようになると、草津の酸性湯で爛れた肌
をこの温泉に浸かって癒したことから“草津の治し湯”“草津の仕上げ
湯”として知られるようになり、弱アルカリ性の柔らかな泉質が肌に効
能があるということで「一浴玉の肌」と謳われるようになりました。
奥の湯船に湛えられた適温、手前の湯船を満たした熱めの透
明湯からは、弱めながらも玉子臭が香り、備え付けのカップ
で湯口の源泉を口に含むと、玉子スープを薄くしたような美
味しい味がしました。
左辺に設えら
れたパイプ湯
口から各湯船
にドボドボと
注がれ、浴槽
底と右辺の外
に開けられた
小孔を介して
パスカル方式
で排湯されて
いるのは、飲
泉も可能な共
同源泉である
含食塩-石膏
泉。
左右両側も透明ガラスとなったガラス戸から出入りする浴室は、右側に
2、左手前に1基の水カランがあるだけの共同湯らしい簡素な造りで、腰
壁から床は別府八湯でよく目にする鮮やかな天草陶石、その上から天井
は板材で仕上げられ、左奥に縁と底を伊豆石、側面を天草陶石の石板張
りとした2.45×1.15mの長方形、その手前に同じ造りながら黒御影で縁
取り、四隅の角を落とした1.9×0.95mほどの2つの湯船が配されていま
す。
磨りガラスに色違いで温泉名を大
きく描いた斬新な入口を入ると、
すぐ目の前にある脱衣所は壁から
天井を板材で仕上げた小綺麗な造
りで、右に10、左側に15庫の脱衣
箱が備えられ、さらに左手前の窓
下に設えられた横長4庫の脱衣箱
の左下には、無料で利用できる貴
重品ロッカー4庫が設置されてい
ました。
『沢渡温泉共同浴場』は、公共駐車
場のある温泉街の西口から旧街道を
400m余り上った右側、温泉街のほ
ぼ中心に所在する共同浴場です。

坂の途中に立地する2010年に改装さ
れた浴舎は、宝形造りの屋根の上に
湯気抜きを載せた木造平屋建てで、
向かって左側手前に設けられている
受付で入浴料を直接支払います。
江戸時代中期に形成され、1831(天保2)年に蘭学者の高野長英が来訪
した記録も残る温泉集落は、明治末期から昭和初期にかけて50軒ほど
の宿や小料理屋が軒を連ねる賑わいを見せ、1922(大正11)年10月20日
には歌人の若山牧水も立寄っていますが、1926(大正15)年9月に草軽
電気鉄道が全線開通し、草津温泉へのアクセスが変化すると、湯治客
も徐々に減少していきました。

加えて、1935年9月25日深夜の豪雨による鉄砲水で温泉街の半分が押
し流され、さらに1945年4月16日に発生した沢渡大火という大規模な
山火事によって近隣の山々とともに温泉街のすべてが焼き尽くされる
壊滅的な被害を受けましたが、町田浩蔵氏を中心とした住民の努力に
より、14年後の1959年に再興を果たしました。
当温泉で初入湯となった
お隣のまるほん旅館では、
この源泉が持つ素性の良
さをあまり感じることが
できず、残念ながら物足
りなさが残りましたが、
その気持ちを補って余り
ある素晴らしい一湯でし
た。    〔14.08.19〕

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