住 所   長野県下高井郡山ノ内町平隠2111-1
  電 話   0269-33-3171
 営業時間   10:00~20:00 (休=火)
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   石の湯
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   61.4  ℃
 pH   7.3
 成分総計   1.167 g/㎏
    Li=0.8/Sr=0.3/Na=243.9/K=28.2/Ca=69.6/Mg=1.4/
  Al=0.01/Fe2=0.04/Mn=0.07(344.2㎎/㎏)
  F=1.3/I=0.5/Br=1.7/Cl=341.9/SO4=223.8/HCO3=45.2/
  HS=0.02/HPO4=0.4(614.6㎎/㎏)
  HAsO2=1.0/H2SiO3=154.8/HBO2=49.3(205.1㎎/㎏)
  CO2=3.3/H2S=痕跡(3.3㎎/㎏)
      〔2006.06.09〕
 入浴履歴   初訪11.06.12
 評 価   ★★★★
 渋温泉
石 の 湯
                                しぶおんせん いしのゆ
湯口では、浴室に足を踏み入れた瞬間に鼻腔をくすぐった芳ばしい石膏
臭がはっきり感じられますが、浴槽内では湯の香は痕跡的で、ごくわず
かに渋味が感知できたのみでした。


この温泉地の人気を高めている外湯巡浴巡りが宿泊客に限られる中で、
渋温泉を気軽に楽しむことができる日帰り施設として、貴重かつ穴場の
浴場と言えるでしょう。                〔12.08.26〕
中央にはやはり大小の礫
で縁取り、真ん中に仕切
りを入れたロイヤルブル
ーの丸モザイクタイル張
りの湯船が配され、左手
前の石壁に設えられた岩
組みの湯口から、高温の
独自源泉がザバザバと掛
け流されていました。

各浴槽にたっぷりと満た
された無色透明の湯は、
湯口のある左の浴槽は激
熱、その溢れ湯が流れ込
む右側は少し熱め。
右奥のサッシ戸を入ると、モザイクタイル張りの浴室がお出迎え。
施設名を表わしているように、大小の礫を積み上げた石の壁がぐるりと
巡り、道路に面したガラス窓から陽が射し込んでいるものの、室内は仄
暗く、洞窟の中にいるような妖しい雰囲気がします。
続く江戸時代には、1676(延宝4)年の3代真田幸道の入湯を嚆矢と
して歴代の松代藩主も利用するようになり、葛飾北斎や小林一茶
・佐久間象山といった文人墨客も訪れています。
また、この時代、新しい泉源も次々と発見され、現在では泉源37
か所、1分あたりの湧出量は3100ℓに達しています。

温泉街に点在する9か所の外湯は、2006年から立寄り入浴が可能
となった渋大湯を除き、地元住民以外では基本的に宿泊客だけが
利用可能となっています。
宿泊客はそれぞれの宿で鍵を借り、350円で購入した巡浴手拭い
に各浴場で朱印を押し、最後に大湯の向かいの高台にある行基ゆ
かりの渋高薬師で印受すると満願成就。九(苦)労を流し、厄除に
なるとされており、手拭い片手に外湯を巡り歩く浴衣姿の宿泊客
でいつも大変賑わっています。
湯田中渋温泉郷は、下高井郡山ノ内町を流れる横湯川・夜間瀬川とこれに注ぐ角間川の流域に点在する、新
湯田中・湯田中・星川・穂波・安代・渋・角間・上林・地獄谷という9か所の温泉地の総称です。

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ガレージの奥の入口を入ると、正面
にはフローリングの喫茶スペースが
あり、その手前を左に歩を進めると、
左手前に男湯、奥に女湯が設けられ
ています。

脱衣所はまずまずゆったりとした大
きさで、右側には木製のベンチが置
かれ、左には12庫の脱衣箱と小さな
洗面台が備えられていました。
鉢植えに囲まれるように入口の左
に設置されたスタンド看板に“お
食事 入浴”と明示され、ガレー
ジとなった入口手前の柱の張り紙
に「天然温泉 入浴料500円」と書
かれているものの、いずれも表通
りからは目立たないため、あらか
じめ浴場の存在を知らなければ、
ここが入浴施設と気が付かずに通
り過ぎてしまうでしょう。
『石の湯』は、和合橋の袂から横湯川沿いの道を50mほど上流に向かうと左手に所在している、喫茶・食事
処を兼ねた日帰り入浴施設です。
渋温泉は、国道292号(志賀草津道路)の佐野角間I.Cから県道宮村湯田中停車場線(342号)で星川橋を渡り、
横湯川の右岸(北岸)を東へ0.9㎞余り、石畳の緩い坂道沿いを中心に32軒を数える中小規模の温泉宿と外湯
(共同浴場)のほか、飲食店や商店・遊技場などが建ち並ぶ、とても情緒のある温泉地です。

奈良時代の神亀年間(724~729)、東国巡錫の折にこの地を訪れた行基によって発見されたと伝えられ、戦国
時代にはいわゆる“信玄の隠し湯”の一つとして、武田信玄から厚い保護を受けました。