住 所   長野県下高井郡山ノ内町平隠
  電 話   0269-33-2921 (渋温泉旅館組合)
 営業時間   地元住民・宿泊客(6:00~22:00)のみ入浴可
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   横湯第一ボーリング・横湯第二ボーリング・熱の
  湯 混合泉
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   70.5 ℃
 pH   7.6
 成分総計   1.272 g/㎏
    Li=0.8/Sr=0.4/Na=250.0/K=29.3/Ca=92.9/Mg=0.8/
  Al=0.05/NH4=0.1/Fe2=痕跡/Mn=0.3(374.6㎎/㎏)
  F=1.1/I=0.4/Br=1.7/Cl=350.7/SO4=284.4/HCO3=36.6/
  N02=0.09/N03=0.3/HPO4=0.8(676.1㎎/㎏)
  HAs02=1.2/H2Si03=158.1/HBO2=58.2(217.5㎎/㎏)
  C02=4.2(4.2㎎/㎏)             
〔2006.06.28〕
 入浴履歴   初訪08.04.19,最終10.08.14(2回目)
 評 価   ★★★★
 渋温泉
松 の 湯
                              しぶおんせん まつのゆ
湯船を満たした湯は、竹の湯と同一の源泉。
わずかに白濁した透明湯からは、芒硝臭がほんのり香り、薄茶色の湯の
華も目にすることができました。
右奥にある湯口は、竹の湯と同じように木樋に木の板を挿し込んで注入
量を調節する仕組み。
掛け湯した瞬間はかなり熱く感じたものの、それは湯の表面のみで、湯
船に浸かり、全身を使って掻き混ぜると、ほぼ適温となりました。

これまでに2度訪れていますが、不思議なことにこの浴場ではいつも一
人きり。
右手の長辺側に設えられた段に腰掛けて、ゆったりとした気分で湯浴み
を楽しむことができました。               〔10.08.20〕
中へ入ると、脱衣所には竹の湯と
同じように8庫の脱衣箱。

浴室はすべてタイル張りで、中央
の奥寄りに御影石で縁取った1.9
×1.4mほどのタイル張り湯船が
配されています。
外湯の大半が仕切り壁に寄せて湯
船を配しているのに対し、ここで
は3辺の周りに空間が確保されて
おり、湯気抜きを備えた高い天井
も相俟って、湯船の大きさ以上に
広く感じました。
続く江戸時代には、1676(延宝4)年の3代真田幸道の入湯を嚆矢と
して歴代の松代藩主も利用するようになり、葛飾北斎や小林一茶
・佐久間象山といった文人墨客も訪れています。
また、この時代、新しい泉源も次々と発見され、現在では泉源37
か所、1分あたりの湧出量は3100ℓに達しています。

温泉街に点在する9か所の外湯は、2006年から立寄り入浴が可能
となった渋大湯を除き、地元住民以外では基本的に宿泊客だけが
利用可能となっています。
宿泊客はそれぞれの宿で鍵を借り、300円で購入した巡浴手拭い
に各浴場で朱印を押し、最後に大湯の向かいの高台にある行基ゆ
かりの渋高薬師で印受すると満願成就。九(苦)労を流し、厄除に
なるとされており、手拭い片手に外湯を巡り歩く浴衣姿の宿泊客
でいつも大変賑わっています。
湯田中渋温泉郷は、下高井郡山ノ内町を流れる横湯川・夜間瀬川とこれに注ぐ角間川の流域に点在する、新
湯田中・湯田中・星川・穂波・安代・渋・角間・上林・地獄谷という9か所の温泉地の総称です。

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『松の湯』は、竹の湯から狭い緩やかな坂道を50mほど上ると四つ角の
南東角に所在する厄除巡浴外湯めぐりの五番湯で、外湯の中では最も上
手に位置しています。
地獄谷から木の管を通して引湯に成功し、竹の湯と相前後して創設され
た浴場で、慶事の象徴である「松竹梅」から1文字とって名付けられま
した。
神経痛や病気の回復時に良い湯とされ、集会所的な役割も担っていたこ
とから、洒落で“あなたを待つ湯”などと呼ばれていたそうです。

浴舎は白外壁のコンクリート造りで、正面の庇から下には松板が張られ
ています。入口の扉は左右両端に分かれ、この浴場だけ左側が男湯とな
っていました。
渋温泉は、国道292号(志賀草津道路)の佐野角間I.Cから県道宮村湯田中停車場線(342号)で星川橋を渡り、
横湯川の右岸(北岸)を東へ0.9㎞余り、石畳の緩い坂道沿いを中心に32軒を数える中小規模の温泉宿と外湯
(共同浴場)のほか、飲食店や商店・遊技場などが建ち並ぶ、とても情緒のある温泉地です。

奈良時代の神亀年間(724~729)、東国巡錫の折にこの地を訪れた行基によって発見されたと伝えられ、戦国
時代にはいわゆる“信玄の隠し湯”の一つとして、武田信玄から厚い保護を受けました。