住 所   群馬県吾妻郡中之条町四万3977-1
  電 話   
 営業時間   9:00~15:00
 入浴料   寸志
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり)
   
 源 泉 名   塩の湯
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量   75   ℓ/min
 泉 温   60.9  ℃
 pH   7.5
 成分総計   1.528 g/㎏
    Na=311.0/K=20.9/Ca=165.6/Mg=2.8/Al=0.1/NH4=<0.1/
  Fe2=<0.1/Mn=0.1(500.5㎎/㎏)
  F=0.6/Br=3.2/Cl=503.2/SO4=296.5/HCO3=93.4/
  CO3=<0.1/HS=<0.1(896.9㎎/㎏)
  HAsO2=1.4/H2SiO3=89.3/HBO2=33.9(124.6㎎/㎏)
  CO2=5.7/CO2=<0.1(5.7㎎/㎏)       〔2009.10.26〕
 入浴履歴   初訪10.09.24
 評 価   ★★★★
 四万温泉
上 之 湯
                                 しまおんせん かみのゆ
それぞれの浴槽には、両者に跨るように仕切りの上に設けら
れた湯口から含石膏-食塩泉がトボトボと注がれ、奥行き1.4
m、幅1.05mの五角形を呈した手前側の浴槽は熱め、その奥
の1.1×1.05mほどの方形浴槽は少し熱めに調整されていま
した。
ほぼ無色透明の湯からは、多少つるっとした肌触りが感じら
れたものの、ほとんど無味無臭で個性に乏しいお湯でした。

訪問したのが平日ということもあって、終始貸切状態。
四万温泉の3か所の共同湯の中では、最も生活温泉らしさを
漂わせる素朴な浴場でした。          〔12.04.02〕
左と奥の2面に設けられたガラス窓か
ら陽光が降り注ぐ浴室は、壁の途中
から天井が木造り、以下が石板張り
で、仕切り壁のある右側には、檜の
角材によって縁取りされた2糟の石
板張りの湯船が配されていました。
『上之湯』は、四万大橋の手前で国道から
旧街道へ入り、四万川に沿って北北西へ約
1.1㎞、山口露天風呂の入口の斜め向かい、
三木屋旅館の手前に所在する山口地区の共
同浴場です。

街道に面していながらそれとは気付かずに
通り過ぎてしまいそうな浴舎は、外壁がク
リーム色をした切妻造りの木造平屋建てで、
屋根の上には塔屋のような小さな瓦葺きの
湯気抜きが載っています。
四万温泉は、国道145号の伊勢町上交差点から国道353号で北へ約14km、
1500m級の山々に囲まれた四万川とその支流である日向見川・新湯川沿
いに36軒の旅館・ホテルが建ち並ぶ温泉地で、草津温泉・伊香保温泉と
並んで“上州三名湯”と呼ばれています。

延暦年間(782~806)に蝦夷征討の際に立寄った坂上田村麻呂が発見した
とも、989(永延3)年頃、越後から上野国へ越えてきた源頼光の四天王の
1人である碓氷日向守貞光が、夜中読経を行っていたところ、夜半にど
こからともなく現われた童子が「汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を
治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり。」という神託を授け、お
告げのとおりに発見されたその温泉を“御夢想の湯”、その地を“四万
郷”と名付けたとも伝えられています。

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浴場の入口は向かって右側の平側にあり、通りから石段を5段上がると左手前
が男湯、奥が女湯となっています。
浴場入口のガラス扉の先は、手前が右手に9庫の脱衣箱が設えられた脱衣所、
奥が浴室となっており、両者はガラス戸によって画されていました。
戦国時代には、関東管領であった上杉憲政(1523~1579)が度々訪れ、
1563(永禄6)年に武田信玄方の真田幸隆の攻めを受けた岩櫃城主 斎藤
基国の家臣で、落城の際のしんがりを務めた田村甚五郎清政が、この
地に留まって湯屋を設置。真田昌幸もその孫である田村彦左衛門に湯
守を命じ、整備に力を入れたそうです。
17世紀後半になると湯治場として広く知られるようになり、大正時代
後半からは長期滞在型の利用が増加。与謝野晶子や高村光太郎・太宰
治といった文人も訪れていたとのことです。

温泉街は奥から日向見・ゆずりは・新湯・山口・温泉口という5つの
地区に分かれ、1954年には酸ケ湯温泉・日光湯本温泉とともに国民保
養温泉地の第1号に指定されています。