住 所   群馬県吾妻郡中之条町四万4228-2
  電 話   
 営業時間   9:00~15:00
 入浴料   寸志
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   河原の湯
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   63.6  ℃
 pH   6.5
 成分総計   2.07  g/㎏
    Sr=0.46/Na=467/K=58.0/Ca=150/Mg=1.29/Al=<0.05/
  Fe2=0.32/Mn=0.71(678㎎/㎏)
  F=0.7/Br=4.5/Cl=695/SO4=420/HCO3=46.7
  (1167㎎/㎏)
  H2SiO3=142/HBO2=49.8(192㎎/㎏)
  CO2=30.8(30.8㎎/㎏)           〔2007.09.12〕
 入浴履歴   初訪10.09.24
 評 価   ★★★★
 四万温泉
河 原 の 湯
                               しまおんせん かわらのゆ
ガラス戸によって画された浴室は、脱衣所から3段下がった
位置にあり、奥壁には外壁と同様に自然石が積み上げられ、
何だか洞窟の中にいるような感じがします。
精美な石板で仕上げられた室内には、同様に石板で造られた
1.85×1.4mほどの隅丸長方形の湯船が奥に寄せて配され、
左奥の湯口から独自源泉がドボドボと掛け流されています。
少し熱めの無色透明の湯からは、御夢想の湯と違って弱い石
膏臭とともに金気臭がはっきり香り、味はほとんど感知でき
ませんでしたが、口に含むとほんのり油臭っぽい湯の香も感
じられました。

洗い場には湯船から溢れ出した湯が常に流れており、温泉そ
のものも個性があって鮮度も良好。
四万川の瀬音が反響している脱衣所に対し、仄暗い浴室は静
かで落ち着きがあり、とても雰囲気の良い共同浴場でした。
                     〔12.03.22〕
『河原の湯』は、国道から県道四万温泉線(239号)で約1㎞、新湯川と
四万川の合流地点に架かる萩橋の袂にある、地元住民が会費を出し合
って管理運営している新湯地区の共同浴場で、1994年に浴舎が建て替
えられたのを機に一般にも開放されるようになりました。

新湯川左岸の河原に建つ円柱状を呈した独特な形の浴舎は、河原石を
積み上げて外壁を仕上げた鉄筋コンクリート造りで、屋上がポケット
パークのように整備されていることも手伝って、一見、公衆トイレと
間違えてしまいそうです。
橋を渡り切ると右手にある階段を下りていくと、曇りガラスが嵌った
黒い格子扉が左右に並んでおり、男湯の入口となっている左側の扉を
入ると、すぐその先が左奥に9庫の脱衣箱を備えた脱衣所となってい
ました。
四万温泉は、国道145号の伊勢町上交差点から国道353号で北へ約14km、
1500m級の山々に囲まれた四万川とその支流である日向見川・新湯川沿
いに36軒の旅館・ホテルが建ち並ぶ温泉地で、草津温泉・伊香保温泉と
並んで“上州三名湯”と呼ばれています。

延暦年間(782~806)に蝦夷征討の際に立寄った坂上田村麻呂が発見した
とも、989(永延3)年頃、越後から上野国へ越えてきた源頼光の四天王の
1人である碓氷日向守貞光が、夜中読経を行っていたところ、夜半にど
こからともなく現われた童子が「汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を
治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり。」という神託を授け、お
告げのとおりに発見されたその温泉を“御夢想の湯”、その地を“四万
郷”と名付けたとも伝えられています。

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戦国時代には、関東管領であった上杉憲政(1523~1579)が度々訪れ、
1563(永禄6)年に武田信玄方の真田幸隆の攻めを受けた岩櫃城主 斎藤
基国の家臣で、落城の際のしんがりを務めた田村甚五郎清政が、この
地に留まって湯屋を設置。真田昌幸もその孫である田村彦左衛門に湯
守を命じ、整備に力を入れたそうです。
17世紀後半になると湯治場として広く知られるようになり、大正時代
後半からは長期滞在型の利用が増加。与謝野晶子や高村光太郎・太宰
治といった文人も訪れていたとのことです。

温泉街は奥から日向見・ゆずりは・新湯・山口・温泉口という5つの
地区に分かれ、1954年には酸ケ湯温泉・日光湯本温泉とともに国民保
養温泉地の第1号に指定されています。